なんで悲しそうな少年なの?

今回は奈良の興福寺の阿修羅と八部衆のお話です。2014年現在は興福寺はきれいな国宝館ができましたよね。ばっちりゆったり阿修羅像や八部衆、十大弟子を見ることができます。でもね、やっぱり見たいのは金堂での配置した当時の姿。その点、京都の東寺の立体曼荼羅は素敵ですよね。「はあ~、旅行行きたい、寺行きたい。」 旦那さんがぼやいています。すうちゃんを仏像ガールさんのようにに育てましょう!

以下はLOVELOG版Messier Catalogue 27の2009年4月29日の記事の再投稿です。

なんで悲しそうな少年なの?

興福寺の八部衆(*1)のイラストを描いてみました。描けば秘密に迫れるかなと思ったのです。一つ前の記事にも描いてみたのでもしよければ見てください。冗談のような絵になってバチが当たりそうですが…。



ともかく私がこれでわかったのは、明らかに阿修羅が特別だということです。だって他のメンバーは服装の基本構造が同じですもの。そうはいっても、生地の柄やら、胸当ての彫刻やら、詳細は異なるのですが、私は根性なしなので表現しきれませんでした。

服装はともかくとして、顔に命かけているなあと思いました。表情がみんな違う。子供組から大人組、獣組まで。獣といってもあまり違和感なく少年たちになじんでいるところがスゴイ。やっぱり目があくまでも人なのかなあと思いました。ところが私の絵は力量不足で、カルラがチキンジョージ(*2)にしか見えなくなったのが無念です。(彼を遠くにしとおいてよかった…)

そんなへなちょこな作業しかしていない私でも同じ形状のものだと飽きるんですよね。で、阿修羅を描くときには俄然やる気になる。特に三面六臂の処理。6本の腕に何をさせようかとか、顔のバランスはどうだとか。それが「国宝 阿修羅展(@東京国立博物館)」(*3)で実物を見比べてもそんなことを思ったわけです。

同じ八部衆でありながら展覧会名からもわかるように、阿修羅像が別格。いつからこんな扱いになったんだろうって疑問に思いません? 江戸時代から熱狂していたかって? 少なくとも私の知る江戸では特に「キャー、阿修羅ァ」なんて黄色い声は飛んでませんでしたよ。「和州旧跡幽考」(江戸版るるぶ奈良・京都)でも、今でいう「スピリチュアルスポットの旅」みたいなヤツで、阿修羅のアの字もなかった。だって仏教の中でも脇役ですからね。曼荼羅の並びだって正面向かって左奥。見えやしない。

ところが、実践女子大学の武笠朗先生によると、明治時代に入って廃仏毀釈運動によって仏教から切り離されて、美術品や文化財として評価されるようになってから、阿修羅単体でスポットライトを浴びるようになったというのです。あの華奢な胴体に六本の腕の優美さ、そしてお顔の清清しさといったら、日本のみなさんは気づき始めたのです。すごい美少年が奈良にいると!


■八部衆の作り方

八部衆を複数の作者で作ったのか、一人の作者で作ったのかはわかりませんが、八人の匠が一体ずつ作ったというリッチに人材を揃えられたわけでもないでしょうし、耳や鼻の表現の共通性も見られることから、同一工房に所属する一人が複数体作ったと思われます。5月2日のNHK「ワンダー×ワンダー」(*4)で特集された阿修羅像トルソーの復元について、仏像技法研究の第一人者、山崎隆之さんが、試行錯誤とはいえ、5ヶ月かかっていましたので、全身、且つカラーリングを考えますと一体製作が半年はかかるのではないかと思います。ふわー、気が遠くなる。

はい、実際の作り方ですか? 「ワンダー×ワンダー」で見たホットな情報も含めにここでお伝えしますね。八部衆は脱活乾漆造(だっかつかんしつぞう)といって、次のステップで作られます。

1.心木に藁・塑土を盛って原型を作る。
2.その上に麻布を漆を繋ぎ(糊)にして張り詰める。
3.乾燥後、麻布の一部に窓を開け、中の土を抜く。
4.張りぼてのように空洞になった像内に木枠を入れて補強する。
5.3の窓を縫合する。
6.表面をおがくずと漆を混ぜたものを盛って表面を整える。
7.彩色を行う。

3のステップが示すように、作成された像は中が空洞のため軽いというのがおわかりでしょうか? しかも八部衆の身長はみな150cm前後。興福寺も古寺の例に漏れず、何度も火災に見舞われているのですが、八部衆が全員揃っているのは軽くて華奢な体つきのおかげなんです。火災になったとき、お坊さんの脇に抱えられてお堂から助け出してもらえたから。興福寺の火災を数えたら平安時代7回、鎌倉時代2回、南北朝時代1回、室町時代1回、江戸時代1回、計12回も境内のいろんなお堂が焼失しています(*5)。え、火事の原因ですか? 落雷、放火、戦乱、民家の飛び火など。しかし、1180年の平重衡の南都焼討で全焼したときは像はどうしたんだろう…。気になる。

またホットな情報というのは6について。6の工程はあの八部衆の少年たちの悲哀の表情を作るのに非常に重要だということはお分かりでしょう。ところが、肝心のおかくずが何の木を使っているかわからなかったんだそうです。通常使われるのは檜(ヒノキ)なんですが、どうも粘りが足りず、阿修羅の下瞼のやわらかいラインが出ない。それで山崎さんはいろんな木の粉を試すのですが、皆目わからず。

そんなとき、これぞ仏のお導きか、同じく奈良の地の脱活乾漆造、唐招提寺の盧遮那仏(るしゃなぶつ)の成分調査が行われることになったんですって。仏様から剥がれ落ちていた漆をちょいと失敬して電子顕微鏡で覗くと、そこには100分の5ミリのひし形の結晶体。これは何かと申しますと、なーんと方解石!(炭酸カルシウムが結晶化したもの) 樹木の中に方解石を含む木というと限られてきます。桑(クワ)、楡(ニレ)など。木の皮を料理にも使ったと文献にも出てくるくらい、奈良では楡の木がたくさんあり、それを試すと粘りが出てビンゴでした。


■なんで悲しそうな少年なの?

旦那さんは基本マンガオタクなので、阿修羅といえばCLAMPさんの「聖伝(リグ・ヴェーダ)」(*6)。黄金の目をした子供の姿をしたのが阿修羅だと言い張ってますが、いやいや、本当はすんごい怖い形相をしているんですよ。

もともとはペルシャ(現在のイラン方面)の太陽の神様で、恵みの神だったのですが、東隣のインドに入っていくと、大地を干上がらせる神として、インドの最高神インドラ(帝釈天)と戦うライバルの戦闘神になります。その戦いの様子はいわゆる「修羅場」の語源になっていますね。それが仏教に入ると仏法を守護する神と説かれるようになります。仏教以前の土着の人たちの考え方と折り合うために、「じゃ、こう理解しよう。」と言ったか、言わないか、他のインドの神様と一緒に仏教に組み入れてしまった。それが八部衆。

阿修羅は戦闘の神という性質上、まさに怒髪天を突くような怒りの形相が多いのですが、なぜか興福寺のものは少年の悲しげな顔なんですよね。また八部衆も通常と構成が違う(*1)。

通常           → 興福寺
---------------------------------------------------
天(テン)        → 五部浄(ゴブジョウ)
龍(リュウ)       → 沙羯羅(サカラ)(?)、畢婆迦羅(?)
夜叉(ヤシャ)      → 鳩槃荼(クバンダ)
乾闥婆(ケンダッパ)   → 乾闥婆
阿修羅(アシュラ)    → 阿修羅
迦楼羅(カルラ)     → 迦楼羅
緊那羅(キンナラ)    → 緊那羅
摩コ羅伽(マコラカ)   → 畢婆迦羅(ヒバカラ)(?)、沙羯羅(?)

興福寺が特別なんでしょうか? というのも通常は「舎利弗問経(しゃりほつもんきょう)」という経典をベースに八部衆が構成されるのですが、興福寺は「金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)」という経典がベースだといわれます。

「金光明最勝王経」についてちょっと説明します。この経典のスゴイところは、仏教では男性しか成仏できないと言われていたところを、福宝光明(ふくほうこうみょう)という女性がこのお経を唱えて仏教を広めたために、如来から成仏できるとお墨付きをもらったというエピソード付きなんです。女性にとってはどの経典よりも希望となったのではないでしょうか。

この八部衆を作らせたのは、聖武天皇のお后である光明皇后。熱心な仏教信者だったお母様(橘三千代)の菩提を弔うために建立しました。彼女のお名前も経典にあやかったのでしょう。そして「金光明最勝王経」をよりどころにしていたのは想像に難くありません。この経典の序品(じょぼん)に記された情景を再現して作られたのが、釈迦如来とその説法を聞く八部衆を含むメンバーなのです。

そして、実際に再現したいと考えた情景は特別なものでした。釈迦の説法が懺悔の必要性を説くものだったのです。「悔い改めよ。」なんて、なんかとってもキリスト教…と思ったのですが、やっぱり仏教、その先が大乗。「一切衆生が苦海から脱出できるまでは、衆生一人一人のために、何劫(無限ともいえる長い時間)でも修行しましょう。一切の業を滅する、この『金光明最勝』という名の甚深の懺悔を、衆生のために説きましょう(*7)。」

あの悲しく神妙な面持ちは「懺悔」の表情だったとして、なぜ少年の姿をとらなければならなかったのか。それはやっぱり「懺悔」という心の状態と関係しているのではないかと思うのです。

無垢な状態を表すのに少年の姿、もっと進んで極端にあどけない子供の姿をとる如来や菩薩像は、それ以前の中国でも見られるそうです。だから大人の形状も含め、像を表す人の成長段階はいろいろ選べたわけです。でも無垢な「子供」では汚れてないがゆえに懺悔することもない。分別のある「大人」では分別の中に止むに止まれず汚れも混り、犯してしまったやったことが取り返しのつかないこともある。ましてや人間を超えた従来の如来像のようだととっくに懺悔が済んで解脱してしまった状態である。

過去を反省して未来を見据えて改めていく可能性のあるもの、それが「少年」。しかも見様によっては少女のようにも見えるユニセックスな雰囲気は、きっと女性成仏も祈願の気持ちもこめられたのではないか。

旦那さんをはじめとした大人な私たちは、とりかえしがつかないかというと、そうでもなくって、興福寺の阿修羅像を見て、何か感じることがあるのであれば、それは心の中に少年がいる証拠です。いつだって「懺悔」はできるのです。お経は読めませんが(笑)、衆生のために「懺悔」を説きましょうってね。


<参考>
参考文献
監修:佐藤昭夫 写真:小川光三「奈良大和路の仏像
芸術新潮 2009年 03月号 阿修羅のまなざし


*1:>八部衆(Wiki)
*2:チキンジョージ(楳図 かずお 公式HP)
  チキンジョージTシャツが…
  旦那さんが購入しようとしていたので止めました。
*3:興福寺創建1300年記念「国宝 阿修羅展」(朝日新聞社 公式HP)
*4:NHK「ワンダー×ワンダー」(NHK HP)
*5:で、現在残っているのがこちら
  北円堂○
  西金堂×
  南円堂×
  三重塔○
  講堂×(仮金堂)
  中金堂×(2010年立柱予定)
  南大門×
  食堂×(国宝館)
  東金堂○
  五重塔○
 中金堂の回廊も復元される予定
*6:CLAMP「聖伝」(CLAMP 公式HP)
*7:金光明最勝王経(鈴木隆泰さん HP)
  下部、ハイライト箇所 参照


<紹介>
数ある阿修羅ムックの中で一番本としてセンスがよかった。

コメント

  1. とても分かりやすい推測と解説、勉強になりました。

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  2. お役に立てて何よりです(^^)

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