高野山に行ってきた1

すーちゃんが生まれてからというもの、旦那さんの好きな寺社仏閣巡り、史跡めぐといった旅行には行けておりませんでした。幼い子供と一緒の旅行の場合、抱っこやベビーカー進入が容易な場所か、オムツ替えやトイレは要所にあるか、子供と一緒に食事ができるか、そしてなにより子供自身が楽しんでくれるかどうか、考えなくてはならないことがたくさんあります。旦那さんの行きたい場所がそれらの用件を満たしているかを調べるにはかなり面倒な作業です。旦那さんは働いている身、私も社務めに出ている身、ついつい億劫になってしまい、結局世の中で赤ちゃん一緒でも楽と謳われている行き先を組まざるを得ませんでした。

ところがです。あるチャンスが巡ってきました。大阪にいらっしゃる旦那さんの親友が大きな手術をされるというのです。旦那さんは大阪に行って元気付けてあげたい、そう思いました。それをじゅんさんやお義母様に話したところ、すうちゃんを預けて一人で行ってきてもいいと背中を押してくれたのです。ではどうせなら一泊しよう。そして少し足を伸ばそう。行き先はもちろん旦那さんの心のふるさと「奈良」です(*1)。しかし開創1200年でメディアで度々目にする高野山のことも気になりました。が、高野山は和歌山県。いかんせん遠い印象があります。それを例の友人にメールで書きますと、「大阪から1時間半だよ。」と教えてくれました。行ける。そう思った瞬間でした。

そしてこの友人こそが、弘法大師のお膝元の讃岐生まれ、大学では唯識研究を行い、旦那さんを高野山カフェに連れていってくれた方なのです。記念すべき開創1200年という年になんというめぐり合わせでしょうか。病気の彼女の分まで祈ってこなければならない、そういうミッションを胸に高野山に行くことになったのでした。

*1:このBlogを「奈良」というキーワードで検索してみてください。たくさん「奈良」記事見つかります。


■1日では少し足りない
南海難波駅を8時の特急こうやに乗って、ケーブルカーの終点・高野山駅まで1時間半。そこからバスで市街地に入ります。つづら道をバスで進むと女人堂が現れます。ここは高野山が女人禁制だった頃に女性が篭った、高野山の結界の手前のお堂です。ここを超えますと、本当にガラリと空気が変わることに、霊感ほぼゼロの旦那さんでも感じることができたと言います。

高野山駅からバスで大門まで向かいまして(約16分)、ここから順に大門、中門、壇上伽藍、霊宝館、金剛峰寺と歩き(約1.2km)、高野山大師堂(お香屋)、奥の院入り口の一の橋(約0.8km)、そこから参道を抜けて奥の院と進みます(約1.9km)。寄り道もしていますので、約4kmの工程となりましょうか。これを9時半からスタートして、帰りの特急の15時半までの6時間。少し時間が足りない印象でした。金剛三昧院や徳川家霊台には行けていないのですから。時間に余裕のある方はぜひ高野山の宿坊にお泊りになって、ゆっくり体験されることをオススメします。

ここからは個別の印象、または体験を書きます。


<大門>
本当の意味での結界のターミナル。ザ・高野山「ゴゴゴゴゴッ((c)ジョジョの奇妙な冒険)」という雰囲気を味わいたい人は必ず訪れてもらいたいところです。両脇の金剛力士像がすごいのなんのって。またここから見下ろす山の美しさも絶品です。天空の都市を実感したい方はぜひ大門にいらしてください。

この近所、山道を少し行ったところに「おたすけ地蔵」というのがというのがありまして、なでも願い事を一つだけ叶えてくれるそうなんです。もちろん私たちは今回のミッションの一つでもある、ご友人の病気がよくなるようにと祈って参りました。


<中門>
こちら江戸時代に焼失していましたものを、この開創1200年の記念事業として今年作り直されたホヤホヤな門なのです。新しいとなんとなく有り難味が薄れるような気もするのですが、心配なかれ。白木の初々しい像には魂が篭っております。なんていっても高野山で最も大切な実践の場でもある壇上伽藍を守っているものですからね。

中門を見ながら、どの建造物もどの像も創られた当時といったらこんな感じなのではないか、と当時に想いを馳せることも面白いです。(像は当時は彩色があったのでしょうがね…)


<壇上伽藍>
4月2日-5月21日の法会のタイミングで初ご開帳となった金堂の秘仏のご本尊、薬師如来は、タイミングが会わずに拝むことができず。ただNHK「日曜美術館」の高村光雲の回(*2)でテレビでそのご尊顔を拝みましたので、それを想像しながら拝みました。くっきりしたインド的な肉厚なお顔、じゅんさんそっくりなんです(笑)。次は2015年10月にご開帳になるそうですよ(*3)。

そして旦那さんがいちばん感動したと言っていたのは根本大塔でした。中に入ると、胎蔵大日如来を中心に、金剛界四仏、そして16本の柱には極彩色の菩薩。曼荼羅の世界が目の前に迫ってきます。旦那さんは、本当に人々を救うための仕組みがこの世にはあって、それをお大師様は体系化して、後世の私たちに伝えてくれたという偉業に対し、感謝の気持ちと涙が自然とあふれてきたそうです。そしてもう個人のお願いごとなんてどうでもよくなってしまった。でも病気のご友人の回復は祈ってきましたよ。

その後ご朱印帳を購入して、金堂の薬師如来と根本大塔の大日如来のご朱印を書いていただきました。書いてくださったお坊さんが、

「奥の院に行かれますか? 行かれるようでしたら、最初のページのご朱印はそちらがよいと思われますが、いかがしますか?」

と提案してくださり、その通りにしました。なんて親切なの! 私は清清しい気持ちになりましたね。

さて根本大塔の側には三鈷の松があります。普通松と言えば葉っぱは二本に分かれていますが、この松は三鈷にちなんで三本に分かれていると言われています。この松のところに行くと縁起物にと探す観光客の方がすでに数名いらしゃいました。旦那さんも混じって落ち葉探しスタート。ところがお掃除が行き届いているせいで落ち葉自体が少ない。誰も見つける気配はありません。それでも旦那さんは二つと見つけたのです。そして一つを長らく探していたと思われるおばあさんにプレゼントしました。おばあさん、手を合わせて喜んでくれてましたね。一日一善。

*2:NHK「日曜美術館」 (NHK)
*3:次期金堂ご開帳(南海交通) 


<霊宝館>
旦那さんが高野山に行きたがった大きな理由の一つ、運慶ファンなら垂涎、八大童子像を本場高野山で見ることでした。ゆえにサントリー美術館に来たとき(*4)も見にいかなかったと言っています。ところが! 霊宝館に常に展示されているわけではないんですね。作品保護のため致し方ないこと。一体も見ることができずがっかりでした。

その代わりと言ってはなんですが、快慶(工房)作の四天王だったり、つい最近快慶作とわかった執金剛神立像を見ることができて、機嫌を取り直していました。やれやれ。

あとで気付いたのですが、ここでもご朱印がいただけるのですね。ぜひ次回は頂きたいと思います。

*4:八大童子がやってくる!(サントリー美術館)


<金剛峰寺>
高野山真言宗の総本山。いろいろな来賓があったようで、広間の襖絵の美しいこと。寺というよりも、感覚的には二条城に近い…と思ったら、それもそのはず、このお寺の前身は、豊臣秀吉が母の菩提を弔うために建立した青巌寺というお寺なんだそうです。納得。

一番奥にある大広間でお茶とお菓子がいただけるのが疲れた体に嬉しいです。表面に和三盆が塗りあげられている「佛法僧」という麩焼きなんですが、ここ(奥の売店)でしか売られていないとのことなので、ご家族の方にも高野山を体験してもらいたいとの思いで、お土産に買って帰りました。製造元は、高野山のお土産で有名なみろく石の御菓子司「かさ國」さん(*5)。

*5:かさ國(公式HP)


<高野山大師堂>
高野山大師堂とありますが、こちらお香のお店(*6)。刈萱堂の道を挟んでナナメ前にあり、高野山のほとんどのお寺で使われているお香の製造販売所なんだそうです。山は湿気が多いためお香作りに適さないのですが、技術の進歩で製造可能になったそうです。お土産に一番人気の「銘香」は、真言宗の経典に載っている香りで作られているそうで、山内でも多く焚かれ、まさに高野山の香りです。

お店の人が「先代がお焼香の香りを模して作りました。」と話すのを聞いて、この香りは先代からということは、きっと空調設備のおかげ、歴史とテクノロジーの融合に感心しましたね。旦那さんはと言うと、お土産に買って帰ったら、家がお葬式の香りになったらどうしよう…と考えていたようですが(笑)。実際にはそんなことはなくて、本当に高野山の香りです。

*6:高野山大師堂(公式HP)


<奥の院>
一の橋から約20万基の墓石が並ぶ参道を通り、お大師様の御廟へ。こここそが高野山の真髄、壇上伽藍と並んで二大聖地ではないでしょうか。とはいえ、一の橋を渡るとがらりと空気が変わります。霊気が異なると申しましょうか。稲荷狐の私のような気とも違う。お墓を取り巻くいろいろな念と申しましょうか、いろいろとしか表現できない。それが弘法大師様の気の中でぎゅうっと。ぎゅうっと…濃い。私はその圧にやられそうになりましたが、旦那さんと行動を一緒にする手前、ふんばらなければなりません。

旦那さんは武田信玄ファンのじゅんさんの代わりに、武田信玄・勝頼親子の墓の前で手を合わせました。それから旦那さんは山口県出身なので萩藩毛利家、岩国藩吉川家にも。今見ているNHK「かぶき者慶次」の影響で、加賀藩前田家、石田光成にも(石田光成の遺児を前田慶次が育てるという設定)。声をかけられたような気がして、豊臣秀吉、織田信長にも。特に毛利家、前田家では旦那さんが手を合わしていると、手にどこからともなく水しぶきがかかったようで、きょろきょろしていました。多分歓迎されたのかしら。私も怖くてきちんと見たわけではないのですが。

そして私と旦那さん、もくもく歩いて御廟に。いらっしゃいました! 弘法大師様。奥の院の聖域に入った時点でわかってはいたのですが、こうもきちんと念の形がしっかりしていると、私のような下っ端狐でも本当にありがたくて手を合わせたくなりました。霊感ゼロの旦那さんも、御廟橋のあたりにきて一礼して、今まで行きたいと思い描いた場所を目の前にすると、今までの疲れのようなものが取れてすーっと軽くなり、同時に思ったそうです。

「ああ、じゅんさんとすーちゃんと一緒に来たかった。目の前の景色を一緒に見たかった。」

今回の度で一人旅の身軽さが感じられずどことなくしゃっきりしなかったのは、体験を分かち合いたいと思う人ができたからなのですね。それを言葉という形で旦那さんの胸に落としてくれたのはきっと弘法大師様なのだと思いました。その後、旦那さんはすぐに記念燈篭堂でわかりやすいメッセージをいただきました。

燈篭堂裏の本当に入定された場所(小屋)を回り込んで見た後、記念燈篭堂に足を向ける人はほとんどいませんでした。旦那さんも思わず素通りするところでした。ところがふと気になって進んでみると、ある一組の家族が。なんとその記念燈篭堂でまだ0歳であろう赤ちゃんのおむつ替えを行っていたのです。お母さんは急いでおむつを替え、お父さんと4、5歳くらいのお姉ちゃんは辺りをうかがいその様子を隠すように、家族でこんな場所でやらざるを得ないことを恥じるようにこそこそと。

旦那さんは一瞬「ばち当たりでは…」と頭をよぎったのですが、「小さい子を連れた旅は仕方ないことだもんね。」とすぐにやわらかい気持ちになったそうです。そしてすぐにピンときた。

「『今度は家族でいらっしゃい。』って弘法大師様がおっしゃっているんだ!」

霊感ゼロでもこういうメッセージはこの世の中に満ちているんです。旦那さんが気付けてよかった。

次回は私が奥の院で体験した不思議は話をお伝えしたいと思います。

コメント

このブログの人気の投稿

なんで悲しそうな少年なの?

ドリー祭り~セコンド人生からの昇格?

熊野、房総、出羽三山!