思い出のインデックス

先日は母の日でした。旦那さんは結婚によってお母さんが二人になりましたから(実母、義母)、プレゼント好きの血が騒ぎ楽しさ2倍で大喜びです。しかし気負った分プレゼント選びは難航。旦那さんは実家を離れてからずっと母の日にプレゼントを贈っているのですが、お花、食べ物、雑貨…と実家のお母さんに対してはネタ切れ気味です。義理のお母さんに対しては付き合いが浅く好みを把握しきれていません。そこで今年は初心に戻って今年はカーネーションのアレンジメントを贈ったようでした。

花のプレゼントは、その人だけの花束を作って特別感を演出することもできますし、様々な色や形で目を楽しませてくれて、気持ちを華やいだものにしてくれます。そして花は時間がきたらそっと萎れて、最終的に目の前からいなくなる。プレゼントにもらったという美しい思い出だけが残るのです。昨今、断捨離という言葉が流行っているように、物を溜め込まない生活を心がけている人にとっては、これ以上ないプレゼントではないかと思います。



よく旦那さんのお母さんが口にするのが「昔の人間は物を溜め込むから」。例えば洋服にしても、余所行き→普段着→部屋着→端切れ・雑巾と格下げしていきます。傘にしても骨を接いで修理不可能になるまで使います。昔は今ほど物が溢れておらず、一つの物を丁寧に使う必要があり、捨てるというのは使い尽くしてからという意識が身についているのでしょう。使用可能であればずっと取っておくのです。言い換えると「昔の人間は物を大切にするから」、そして旦那さんのお母さんが暗に言っているのは「もらっても溜め込むことになるから不要な物は贈らないで。」といったところでしょうか。

そのお母さんが先日実家に帰り、年老いた父母のために(旦那さんにとっては祖父母)、幾分か家を整理してきたそうです。

「とにかく物が多くて、箪笥や押入れに何十年前もの服が溢れているの。
だから『もう着ないでしょ』っておばあちゃんに言って全部捨ててきた。」

こういう方にこそ花のプレゼントだ!と思って私はお勧めしたのですよ。ところが旦那さんのお母さんが今回の母の日に自分の母親にプレゼントしたのがブラウスと言うではありませんか。捨てたものをまた贈るの? そりゃ新しいものは気持ちいいもんですがね。

「服を捨てた後にね、思い出の服もあったんじゃないかって思うと
悪いことしたかなと思ってね。
だからまたオシャレして思い出作ってもらおうと思ったんだ。」

物を大切にする昔の人にとって、物は思い出のインデックスなのかもしれませんね。インデックスがなくても思い出はなくならないですが、思い出という情報が増えれば増えるほどやっぱり索引がほしいと思うのは人の世の常。物を大切にするから結果的に物が捨てられないとなるのは、物への執着というより、思い出への執着かもしれません。だって思い出こそがその人なのですから。

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