愛の無力に花束を

前回花のプレゼントの話題が出たので、同じく花がプレゼントになぜよいのかを考えた記事を再投稿します。「数年前の誕生日に言い寄られて困っていた人から超豪華な花束をいただきまして、帰りの電車の網棚に忘れて帰りました。意図的に。ごめんなさい。」という衝撃の告白コメントもありました。プレゼントはもらった人が意味づけをするという原則のよい例ですねありますネ。

以下はLOVELOG版Messier Catalogue 27の2009年6月1日の記事の再投稿です。




愛の無力に花束を(2009年6月1日)


「鉄板」って言葉の使い方、つい最近知りました。「外れなし」の意味で使われることが文脈でわかったのですが、ウェブの日本語俗語辞典によると、「間違いない」「確実な」という意味の言葉で、「鉄板ギャグ」というような使い方をするみたい(*1)。それにしても疎くてスイマセン…。それで新しい言葉を覚えたところに、いつかこのBlogで何食わぬ顔で使ってみよーっと思っていたら、インターネット上の記事で早速「鉄板」という文字を発見。「オヤジの磨き方 女性への贈り物に花束は鉄板」(*2)、自宅で旦那さんと一緒にその記事を読んだところ、旦那さんは「なんと単純な…」と無言になってしまいました。([左図]シャガール ノートルダムの眺め)

R25の同様に記事によると(*3)、女性の一番望むプレゼントは…



1位:アクセサリー
2位:旅行
3位:洋服
4位:高級料理店
5位:花

と花は5位にランクイン。

R25にも書いてありますが、1位から4位は高価な上に選ぶのが難しいと。その点、5位の花。比較的安価で効果的ときたもんだ。でも…。R25のつぶやきどおり

男性の場合、うれしいというより「持って帰るのが恥ずかしい&めんどくせ~」「で、どうすんのコレ。飾れっつ~の?」

は、女性にも当てはまります…って、ぶっちゃけていいの、旦那さん?


花を贈るときの注意点


それは花をもらう状況によります。例えば家に遊びにくるとき、ホームパーティに来るなどライトな間柄も含め、さりげなくブーケを持ってくるのはOK。同様の理由でお店にいるプロの女性へ捧げるのもOK。また特別な日(誕生日など)に高級料理店でディナーなどの日に手渡されるのはOK。前者は持ち帰る必要はありませんし、後者は特別な日なのでいろいろな心づもりをしているでしょうから、それくらいの嵩張るプレゼントも想定内だと思われます。

が、そこまで仲も深まっていない間柄で、これからデートで出歩こうとしているときに花束を渡されたらどうか。まさに女性の心の中にR25メンズのつぶやきですよ。少なくともうちの旦那さんは…。

もう一つは花束の大きさについて。懐具合と直結する話でもありますが…。これは女性の住む住居の広さ、持っていそうな花瓶の大きさを想像することが大切です。学生さんなど大きな花束をもらっても、大きな花瓶で飾るスペースなどないでしょう。でしたら代わりに、花瓶要らずフラワーアレンジメントや、宝石箱に閉じ込めたようなプリザーブドフラワー(*4)というのも選択肢にあります。が、女性によっては「花は茎が長くないと華やかさが出ない!」「仮死状態の花なんて気味悪い!」という人もいますから、そういった意味では鉄板は花束に軍配が上がりますね。

注意してほしいのは、花束の構成をフラワーショップまかせにしないこと。値段が安いのでかすみ草は大盛りで。彼女のイメージに合う花を1つだけ選び、その名前を聞いておきましょう。花束を買うくせに、中途半端に照れるのはやめてください。

かすみ草ってダイエーやSEIYUなどのスーパーで売っている花束くらいしか最近は見かけないような…。出来合いの花束、例えば日比谷花壇でも、第一園芸でも、青山フラワーマーケットでも見かけない(*5)。ましてや個人の名前を出してやっている花屋なんて。「オヤジ、どこで意識が止まっているんだ。」と旦那さん、大ブーイングです。まあまあ(苦笑)。

でも「彼女のイメージに合う花を1つだけ選び」は、なかなか素敵なアドバイスです。そこで花束なんて買うのが恥ずかしいという男性の皆様に、店員さんとのコミュニケーション方法を伝授。まず「おいくらから花束を作っていただけますか?」とお店ごとに異なる花束予算最低ラインを聞きます。その後予算に合わせて「10000円で、色味はダークな赤、雰囲気はシャープ、この花(花を指で指しながら)を中心にした花束」「予算3000円、かわいいくて、丸いフォルムの花束。ピンクを中心とした柔らかい色合いで。」こんな具合に花屋さんに予算、色合いや雰囲気、絶対入れて欲しい花を伝えてくれるだけで彼女のためだけの簡単にオリジナル花束ができますよ(*6)。

以上、単純に「花束が鉄板」だと記事に書いてあるからといって、思考停止させて簡単に花束を買うような男性だらけになってほしくないです。高いからいいというものでもない。贈り物というのはきちんと相手への配慮、思いやりが必要なのですね。


花が鉄板プレゼントであることを考えてみた


配慮や思いやりが欠けるとどうなるでしょうのでしょうか。例えば「ブランド品だったら何でも喜ぶんでしょ? じゃ、ル○・○ィトンあたりで。」と考えた男性がいるとします。そしてインターネットでちょちょいと購入したとしましょう。この単純な発想の裏には、考えるのが面倒くさいということが隠れています。言い換えると彼女に配慮する、彼女を思いやることができないと言っているのと同じことです。

もらった女性はすぐに喜ぶそぶりを見せます。なんていったってブランドですから一目でわかります。彼女が前から欲しがっているものだったらいいでしょう。ところがそうでない場合。男性の考えるブランドの定番など、もてる女性はもうすでに同じものを持っていたりします。もしくはいくら初めてもらった場合でも自分の普段のスタイルと合わないと判断すると、その時点で「自分のことを見てもらえてないのだな。」とがっかりします。最悪、質屋行きです。

じきに前から欲しがっていた彼女にも問題が発生します。自分が欲しがっていたものなど、自己都合で飽きることが多いのです。「友達が持っていて、それよりもちょっとイイものが欲しい。」「前のに飽きたから新しいのが欲しい」といった見栄からくるものは、本当に飽きるのが早い。早速次のおねだりを考えているはずです。で、これを満たせなければ、ジ・エンド。そら寒い関係ですね。

両方の共通点。物の価値があっと言う間に消費されつくされたことです。ブランドだから消費が早いのか? いえいえ、違います。この男女にとって、その物は、ブランドであるという以外、何も物語がないからです。

もし仮にですよ、ブランドショップに行ったこともないような男性が、決死の思いでグッ○の路面店でプレゼントを購入したとしましょう。それを渡すときに「黒服に白い手袋した男が入口ドアん所に立ってて、マジ緊張ー。入るときに挨拶しちゃったよー。」とか笑えるエピソードが付くわけです。インターネット、ワンクリックではこの愉快なおまけはないですよね。受け取る女性側にしても「数年前に見た雑誌で好きな女優さんが持っていて、それ以来ずっと憧れていたの!」というのなら、愛着も沸いて大切にしてくれるでしょう。モノにどんな物語が付くかで、プレゼントの価値は決まるのではないでしょうか。

中沢新一さんの「愛と経済のロゴス」という本では、贈与(プレゼント)と交換(経済活動)の原理について面白い考察が書いてあります。そもそも贈与というものは、単純な物の移動ではなく、「信頼」「友情」「愛情」「威信」と表現される何かの力、モノの周りを取り巻く雲のような生命的な力、人格性を移動させることが目的だと書かれています。本質的に1回目の贈与から時間がたっても返礼を期待するものであり、ここに連続的な流動という現象が見られるようになります。ここに交換の原理を割り込ませると、人格性の流動が止まるというのです。

送る側の思いやりがないばっかりに、もしくは受け取り側の配慮が欠けたばっかりに、物はただの商品に成り下がり、冷え切った人間関係を生み出してしまう。たかが男女の愛情の交わすのに、資本主義社会の恐ろしい罠が待ち受けているのです。あのマルクスが若い頃書いた「経済学・哲学手稿」の中でこんなことを書いています。マルクスの思想のスタートには贈与論的な思考があったことが見てとれると、中沢さんは指摘しています。

きみが愛することがあっても、それにこたえる愛をよび起こすことがないならば、換言すればきみの愛が愛として、それにこたえる愛を生み出すことがないならば、きみが愛する人間としてのきみの生活表現によって、きみ自身を、愛された人間たらしめることがないならば、きみの愛は無力でであり、一つの不幸なのである

では、花はどうなのか? 女性なら誰でも喜ぶという大衆性は特別感を消し去ってしまうかもしれず、花は数日するとその姿をとどめることなく枯れてしまい、ただのゴミとして消えていきます。それこそすぐに価値を消費されてしまうものではないのか?と考えてしまいます。だからこそ例のライターさんも「彼女のイメージに合う花を1つだけ選び」と、一生懸命物語を作る、中沢さんの表現を借りるなら人格を付ける努力を推奨しているのです。

でもね、花のスペシャルなところは、花そのものの存在が「美」であることが肝なんだと思います。文化、流行、時代としての「美」ではなく、生命に根ざした本物の「美」は永遠に価値が尽きませんから。だから消費され尽くすことはないのです。一度受け取ると、その価値は受け取った人が生きている限りその人の心にあり続けます。もちろん人ですから、花束をもらったことを忘れることもあるけれど、受け取った「美」は物語や人格から切り離されてなお生きる。「美」は時間を超越するものなのです。

そういった永遠に尽きない価値のことを中沢さんは純粋贈与と表現しています。太古の昔から人類が追い求めてきた力。豊穣の証。コルヌコピア(*7)。聖杯伝説(*8)。神の領域。私たちがマルクスの言う愛の無力に陥ったとき、花束はそこから抜け出すための希望なのかもしれませんよ。([左図]デュフィ 30歳あるいはばら色の人生)






<参考>
*1:鉄板(日本語俗語辞典 HP)
*2:オヤジの磨き方 女性への贈り物に花束は鉄板(2009/05/26 内外タイムス)
*3:花のプレゼントは女子にナゼ“鉄板”なのか?(2008/11/20 R25)
*4:プリザーブドフラワー(Wiki)
*5:東京で見かける大手生花店
日比谷花壇
第一園芸
青山フラワーマーケット
*6:例えば旦那さんが好きなのは新宿のZukkyさん。おいしそうな花束!
*7:コルヌコピア(Wiki)
*8:聖杯伝説(Wiki)


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