ピアノと武術とユニクロ~身体の秘密~

ピアノについて旦那さん自身の演奏の話ではなく、プロの演奏を聴きに行って、体の動きとユニクロ快進撃と結びつけて考えてみました。

以下はLOVELOG版Messier Catalogue 27の2009年06月04日の記事の再投稿です。


ピアノと武術とユニクロ~身体の秘密~(2009年06月04日)


ノーベル物理学者のファインマンは方程式を見ていると文字に色がついて見えただとか、画家のカンディンスキーは音楽を聞くと色が見えたとか、天才と呼ばれる人に見られることの多いこの不思議な感覚を「共感覚」と言うそうです。もちろん私はそんな感覚は持ち合わせておりませんが、でも疑似体験できることもあるのです。天才は周囲の階層を引き上げるのです。これが本当のアセンション(*1)!?

それは先日、旦那さんに憑いていったピアノのコンサート、世界最高峰のピアニストの一人に名前が上がる方、マウリツィオ・ポリーニさん(*2)の演奏会での出来事です。私たちの席はサントリーホールの2階席右翼で、ピアノの弦が覗き込める場所でした。そうしましたら、音が弦を伝わる様子が見えるのです。嘘言ってませんよ、私、本当に見えるんです。びよーんって。振動が伝わる様子、消失する様子。それはまるで音響モニターのグラフのように伸び縮みする立体波動。それがピアノの反響板(蓋)に当たってホール全体に広がっていく音は星屑のようにキラキラと!

さぞファンタスティックと思うでしょうけれど、その情景に酔おうとしたその時、雷に打たれたような衝撃を受けました。「ピアノが体の一部」というのはこういうことだと悟ったからです。使い古された表現なので頭でイメージはしていたのですが、それが目の前で、五感に迫ってくる感じを初めて体験したのですから。あの波動もあの光もポリーニさんの体の動きそのものなのです。「旦那さん、イチローを目指すとはこういうことですよ。(*3)」「…(コクッコクッコクッ)」頷く旦那さん。


体が部分的に自律して動いている


「ピアノが体の一部」は脳がなせる業なのかと考えてみますと、大脳で音をイメージして指先に伝えるのではもう遅いような気がするんですよね。だって、ある音を弾いた瞬間にもう未来の、次の駆動の準備をしているわけで、「よしッ、イメージどおり!」なんてふりかえって動きにフィードバックしている暇もない。旦那さんがピアノのレッスンを受けたりするのをこっそり見ていると、「長いフレーズ、一息で。」と次に息を吸うまで集中の神経を切らすことを赦されない。その間、大脳は未来の一つの塊をイメージしつつも、指では順次個々の音を鳴らしている。

でも体の動きって、大脳のイメージがそのまま末端に伝達されているわけではありませんよね。このイメージは一旦原始の脳・小脳で体の動きへとコンパイルされて送信されているはずです。でもポリーニさんの動きを見ていたら、それでは遅い気がする。未来がやってきたと同時に、もう足が、腰が、背中が、肩が、腕が、手が、指が、そして鍵盤が、ハンマーが、弦が、音が、全て自律的に動いているとしか考えられない。

そうえいば、旦那さんの敬愛する内田樹先生(*4)が書かれた本「私の身体は頭がいい」の「ワニ的身体論」の頁で、武術的身体運用について触れられています。

頭脳による身体統御とは、中枢的な身体運用であり「…しよう」という意志決定があって、それが筋肉骨格へ「上位下達」的に命令されます。しかしこの「上位下達」的運動には致命的難点があると。それは、例えば指を動かす場合、肩、腕、手、指といった「ツリー」状組織は「…しよう」という中枢からの情報が「すべての末端」にゆきわたってしまうことです。実際に作動すべき身体部位は指という局所であるにもかかわらず、それと関係ない身体部位がぜんぶそれと「シンクロ」してしまうのです。

「シンクロ」してなにがまずいのか。「上位下達」の場合、目の動き、肩の起こりなどに出てしまい、相手に次の一手をばらしているようなもので、武術では致命的な無駄な動きということになってしまいます。だから中枢処理はNGで、現場処理をしなければならないというものです。だからといって、各部位があまり勝手に動いてもダメなので、それなりに「以心伝心的連携」はあるのですが、それは「ツリー」ではなく「リゾーム(地下茎)」的な連携であるということです。

それで、私はポリーニさんに感じたあの一体感はリゾーム的連携なのかしらの思うに至ったわけです。


ユニクロもリゾーム的?


ここにきて、冷え切った消費の中で快進撃を続けるユニクロ。日経ビジネス2009年6月1日号(*5)はユニクロ特集。柳井CEOの辣腕っぷりが余すところなく特集されていますので、興味ある方はどうぞ。フリースブームの後の反動期、空回り気味だったプランをしっかりやろうと、もう一度柳井さんが会長から社長に戻って、小さいことまで目を通すようになったそうです。当たり前のことを当たり前にやる、徹底してやる。柳井さんが直接現場に行って、売れてない商品を見ると「これを作ったのは誰ですか。」と言うとか。コワッ。

この記事を読んで感じたのは柳井さんの現場伝達スピードと現場の見せる自律性。組織自体もまた、身体と同じなのではないかということです。組織の理想とは、統制のとれた「ツリー」を思い浮かべる人が多いと思うのですが、そうではなくて「リゾーム」連携。ユニクロではこの仕組みができているのではないか。それはユニクロとしての一体感を生み出し、引いてはスピード感、効率化、経費削減につながるのではないかと想像してみたわけです。

そしてもう一つ肝心なのが、記事からも読み取れるし、実際にユニクロでお買い物をしていても感じる、現場のキリっとした空気、いい意味での緊張感です。

ここで再び、たつる先生にご登場願います。同本の「日曜日だから剣でも抜いてみよう」の頁で、剣を止める技術についてのお話があります。腕の力だけで止めようとすると、肘を壊し、肘を庇えば肩を壊し、肩を庇えば腰を壊す。すると身体全体の構造的安定性によってしか止められないというのです。この構造的安定というのは中枢では制御できない。意識されることで局所的な緊張が起こってその部位を壊すことになるでしょうし、なにより「上位下達」は剣を受け止めるあの瞬間において致命的に遅いのです。たつる先生は、構造的な「張り」が全身に均一的に分布するように身体を使うにはどうしたらいいのかと問いかけています。

ええ、そうです。この「張り」こそが、ユニクロの緊張感なのではないでしょうか。私は経営のことはとんとわかりませんがね。ユニクロの快進撃の理由はこのあたりに秘密がありそうな気がしています。

話は最初に戻り、ポリーニさん。彼は1960年、18歳で第6回ショパン国際ピアノコンクールに審査員全員一致で優勝、このまま演奏活動に入ってもよい実力の持ち主だったそうですが、その後10年近く、表だった演奏活動から遠ざかり、自己研鑽を積んでいたというのはとても有名なお話です。私はこのエピソードを聞くにつけ、武道家の山篭り修行のようなものを思い出します。もしかして彼の芸術家の定義は、身体を使うといった意味で、武道家の精神も含まれているのですかね。70歳前にして、3曲アンコールの最後が、リストの超絶技巧練習曲第10番。御年を召されてもなおパワフルな様子に、感嘆のため息しかでませんでした。(ミスタッチあったけど)

なんだか不思議。成功の秘密は実は人の身体にすでに備わっているのかもしれません。


<参考>
*1:アセンション(Wiki)
*2:マウリツィオ・ポリーニ(Wiki)
*5:イチローとピアノ(当Blog)
*4:内田樹(Wiki)
*5:日経ビジネス(公式HP)


<紹介>


コメント

このブログの人気の投稿

なんで悲しそうな少年なの?

ドリー祭り~セコンド人生からの昇格?

熊野、房総、出羽三山!