お諏訪さま怒る!?

ご無沙汰しておりました。お盆を過ぎたといいますのに暑い日が続きますね。4月に新しい場所に引越してきまして、ようやく土地の狐とも顔見知りになりまして、先日からお盆を迎えるための下っ端の仕事である井戸掃除…、最近は井戸がないのでどぶさらいやゴミ置き場の清掃のお手伝いをしておりました。それが終わると実際に旦那さんの亡くなられた義父さんのお迎えの準備、そして夏祭りの準備、いやはや忙しかった。

新しい土地に引っ越してきますと、「まずは土地の神様に挨拶にいかねば!」となるのが世の常(あれ、私だけ?)。しかし家の近所に神社がある場合を除いて、その土地の鎮守の神様がどちら様かというのが意外とわからないものです。狐のくせに?と言うなかれ。

私は大江戸稲荷ネットワークに参加していますが、あくまでもお稲荷様中心となります。そのため気のいい狐にあたらないと他所のお社のご紹介はしてもらえないわけでして。この地域の狐たちは太田道灌が江戸を開く前から住み着いている古狐が多いのですが、私のように経験の足りない、しかも途中でお社勤めをドロップアウトした狐となりますと、舐められてすんなり教えてはくれません。ですからまずは足で確認をするほかないのです。足とはいいましても野良狐の移動手段は旦那さんに憑くのみ。旦那さんが探索してくれないことには見つけることはできません。

東京都神社庁のHPには23区、市町村別の神社が掲載されていますし、それを併せてGoogleマップを見て調べることも可能です。しかし現在の行政区画と江戸の区画は異なりましてね。鎮守のエリアについてはそんなに簡単な話ではないのです。私と旦那さんは江戸の古地図なぞをにらめっこしているうちに5月の連休が過ぎました。そうしてぐずぐずしていると、ある神社のお神輿がお祭りで家の前までやってきてくれたのです。「ここに挨拶に行けば間違いないよね。」 そして無事ご挨拶をしに行った…つもりになっていました。


■諏訪大社と古事記

それは今年の7月の小旅行で起きました。今年は夫のじゅんさんのたっての希望で山梨、諏訪をめぐることになりました。武田信玄ファンのじゅんさんはそのゆかりの地をめぐるのが目的ですので、戦勝祈願し御旗にも掲げた「諏訪南宮法性大明神」を見るべく諏訪大社(*1)を訪れるのは順当として、旅行といえばここ最近は京都・奈良ばかりを回っている旦那さんがなぜこの旅行に乗ったのか。

旦那さんは歴女なので、史料に載っている場所を訪れるのは基本どこでもOK。さらに「古事記」好きですので、そこに出てくる神様、建御名方命(たけみなかたのみこと)・その妻八坂刀売命(やさかとめのみこと)が祭られた諏訪大社ははずせないということで、実はじゅんさん以上にノリノリでした。

諏訪大社に関わる「古事記」とは具体的には、出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)の国譲りの神話です。

「古事記では天孫降臨の際、国を譲れと武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、出雲を支配していた大国主命に迫ったとき、大国主命の力自慢の長男の建御名方命が力比べに出てきたんだけれど、負けちゃったんだよね。その時、諏訪まで追いつめられてそこに居ついたってわけよ。」
「なんで諏訪なの?」
「建御名方命のお母さんが新潟の糸魚川の神様、高河沼河比売(こしのぬなかわひめ)でね。史料からすると多分出雲と糸魚川は日本海ネットワークがあったんじゃないかなと思うのよ。逃げるとすればここいらになるかと。」

なまじっか古事記の知識のある旦那さんは、前日に旅館にて鼻高々でじゅんさんに説明していました。


■不思議な諏訪大社

諏訪大社は全部で4つあります。上社前宮、上社本宮、下社春宮、下社秋宮。これら合わせて一社となります。いずれも建御名方命とその妻八坂刀売命が祀られているのですが、上社の主神は建御名方命、下社の主神は逆に八坂刀売命となります。本宮は4社の大代表のような場所、前宮は本宮より前にあった場所とされ、建御名方命の墳墓があるとも言われています。春宮は2月から7月まで鎮座され、8月1日の御舟祭で秋宮に遷座され、翌2月1日に再び春宮に帰座されるそうです。

諏訪大社というのはそもそもは土着の神様が祭られていた場所なんですって。例えば七年に一度の御柱祭で有名な大社を取り囲む4本の柱は、もともとは土着の蛇神様を降ろす儀式のなごりだそうです。一番最初に行った上社前宮には、このように古事記の世界よりももっと古いであろう形跡がいろいろと残されているので正直驚きました。それもそのはず、この辺りは「縄文のビーナス」でも有名な縄文時代の集落の一大拠点だった地域です。



[写真]前宮四ノ御柱

上社前宮の説明看板によると、例えば十間廊という建物。ここで全ての貢物がここで実見に供されたそうです。特に四月十五日の「酉の祭」での供物はなんと七十五の鹿の首! 他にも御室屋という半地下の土室。ここに蛇神様と神官たちが「穴巣始」といって冬篭りをして、ここで神秘的な祭祀が行われていたんだそうです。いずれも中世まで残っていた風習だそうで、今では残念ながら途絶えてしまっていますが、私が知っている神社とは一味も二味も違います。



[写真]鳥居の奥が十間廊



[写真]土室の跡

前宮に行っただけでもそういう息吹、プリミティブと言いましょうか、もののけ姫の世界と言いましょうか。誤解を恐れずに言うなら、神社の背後にある山をじっと覗くと「深さ・暗さ・不気味さ」の三拍子が迫ってくるのです。しかしこの感覚がただの縄文ライクで感じた気ではないことが後のおみくじでもっとはっきりします。


■おみくじで戦慄

さて、旦那さんはじゅんさんと神社に行きますと必ずと行っていいほど二人でおみくじを引きます。おみくじというのは、大抵短歌と大意が書いてあり、そして個別の項目、例えば「願望」「相場」「病気」「縁談」などの動向が書いてあります。旦那さんの場合、特に尋ねたいことがなくとも生きるためのヒントを神様から頂きたいと思っておみくじをひくため、大意を重要視することがほとんどです。しかしこの諏訪大社参拝では二人とも神様にあることについてどうしても尋ねたかった。そこである項目に注目することにしました。そしておみくじを引くのは大代表がよかろうということで上社本宮としました。

上社前宮、上社本宮とお参りを一通り済ませ、上社本宮でおみくじを引くと二人揃って末吉です。大吉、中吉、小吉、吉、末吉、凶、下から2番目。

「大吉しか出したことがない男なのに、ここのところの末吉続きはなんなの…。」
「そういう年ということでしょう。じゅんさん厄年だし、大殺界だし。
 私こそ大吉、中吉続きだったのに、
 今回はじゅんさんに運の足を引っ張られたんじゃないのかな。」
「違うよ、これまでの俺の運を吸い取ったのはあなたでしょ!
 付き合うようになってから俺は末吉なんだよ!」
「だーかーらー、それは厄年で大殺界!」

…醜い喧嘩を繰り広げています。ところでこの末吉はともかく、尋ねてみたい項目に恐ろしいことが書かれていたのです。

「ちょ、ちょっとどうする、これ。まずいよ。」
「落ち着いて。そのための参拝よ。厄払いしてもらわないと!」

二人とも大慌て。ですが私にはなんとなく違和感がありました。前宮の威圧感の続きとして、はっきりと怒っているような、こらしめてやっているというような、そんな彼らの周りには震える空気が漂っていたのです。


■反省して改めて参拝

その日旅館に帰って旦那さんはおみくじの結果にうな垂れていたのですが、前宮と本宮で私が感じたことを伝えますと、旦那さんは前の日に「建御名方命は敗走した!」と偉そうにじゅんさんに講釈をたれていたのを思い出して、「お願いに上がるのに、そりゃ敗軍の将扱いされたら、機嫌悪くなるよね…。そのせいか。」と反省をしたようです。

そして翌日の下社春宮、下社秋宮参拝。下社春宮でしっかり謝罪して、再度おみくじリベンジ。今度は見事大吉で、尋ねてみたい項目も「支障なし信心せよ」と書かれていました。その項目とは「出産」です。旦那さんはなんと結婚早々おめでたとなったのですよ。へへへ。我が旦那さんながらちょっと照れますね。



[写真]やさしい雰囲気の諏訪大社下社春宮

旦那さんが反省した甲斐もあってか、または下社は女神の八坂刀売命が主神ということもあってか、出産にまつわるお願いごとに関しては上社よりずっと親切な空気に満ちていまして、お参りの際、私は二つのことを神様から教えていただきました。

一つは境内に子安社という安産・子育て祈願の末社があるのでお参りしていくこと。こちら御祭神が建御名方命のお母さんの高河沼河比売(こしのぬなかわひめ)。なんでも底の抜けた柄杓をお供えして、水がつかえず軽く抜けるように楽なお産ができるようにという願掛けをするんだそうです。川の女神様らしいですよね。旦那さんも柄杓をお供えして安産祈願をしました。



[写真]子安社にお供えする底なしの柄杓

そしてもう一つは、東京の私たちの住むエリアの鎮守の神社が隣駅にある諏訪神社であること。私はやられた…と思いました。上社のおみくじはその警告だったのか。江戸の古地図を見ていたときに地図を読み間違えて私たちの住むブロックは隣町だと思って、隣町の鎮守の神社に引越の挨拶をしてしまったのです。

東京に帰って、旦那さんとじゅんさんと一緒にすぐに諏訪神社にご挨拶に行きました。境内は建御名方命が「よくきたね」と笑っているような空気に満ちていました。そして隣の末社の稲荷神社、ここの狐たちがすまし顔で「なかなか乙な趣向だったでしょう?」ですって。

諏訪の偉い神様がこんな手の込んだことするかなあと疑問に思っていたのですが、元凶はこ・い・つ・ら・か! じゅんさんと旦那さんの諏訪大社行きを仕向けたのも、二人に対する境内の雰囲気作りを根回ししたのも、二人揃ってあんなおみくじ引かせたのもここの狐のせいだったのかとわかると力が抜けていきました。さすが江戸時代より前から生きているだけある大先輩の狐…おそろしや。私も旦那さんたちを面倒に巻き込まないようにもっと狐として精進しなければならないと誓った諏訪旅行の顛末でありました。



<参考>
*1:諏訪大社(公式HP)


<紹介>

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