やってくる者
旦那さんの仲のよい友人から一通のメールが入ってきました。育児で大変な旦那さんを労う言葉が一通り続いた後、衝撃の言葉がありました。
「実はうちにも乳児がいます!うちの子になる予定。」
添付された写真を見て旦那さんはしばらく固まってしまいました。そのご友人は体があまり丈夫ではなく、子どもが大好きというほどでもなく(むろん嫌いでもない)、夢はお母さんになることでもないことは長い付き合いから知っていましたので、既婚であることからおそらくDINKSで行くのだろうと想像していたのです。ですから自分の予想に反して彼女が養子を取ると気付くまでに数秒かかりました。
旦那さんが赤ちゃんのすうちゃんを迎え入れた状況はいわゆる「普通」です。多くの親がそうであるように、男女が愛し合って、女性のお腹に赤ちゃんが宿り、十月十日を経て生まれてきました。そうでない状況で赤ちゃんがやってくるとはどういうことなのか。旦那さんには様々な感情が嵐のようにやってきて息が止まりそうになりました。
ご友人はどんな気持ちで血の繋がらない子の親になることを決心したのか。彼女の旦那様はどんな気持ちで妻と心を一つにしたのか。彼女のご家族はどんな気持ちでその決心を受け入れたのか。そして彼女が託されることになる赤ちゃんを産んだ母親はどんな気持ちでその子を手放したのか。
しかしその嵐が過ぎ去った後、最初に浮かんできた言葉がありました。それをそのままメールで返信しました。
「おめでとうー!」
翌日、旦那さんはいてもたってもいられなくなり、そのご友人に「すうちゃんの散歩がてら会いに行くから待ってて!」と電話をして、電車に乗って彼女の所に出かけました。
出迎えてくれたご友人は母親の顔になっていました。友人はお昼寝中の赤ちゃんに温かい眼差しを向けながら、1年かけて養子を迎える準備をしてきたこと、子どもには血のつながりはないことを伝えることなどを淡々と語りました。そして二人はたいしたことは何もなかったように、赤ちゃんの便秘が大変だとか、抱っこ地獄だといった母親トークで盛り上がりました。
実は旦那さんはすうちゃんを産む前からある感覚を持っていました。赤ちゃんは「やってくる者」だと(*1)。
「すうちゃんは私と夫の間に『できた』というよりも、
私のお腹にどこかからやってきて、肉体をもって私の目の前に現れた。
偉大ななにかから『よろしくお願いします』という言葉と共に
やってきたように思える。」
だからなのでしょう。すうちゃんを産んだものの、自分の子どもというよりも、みんなの子どもという感覚があり、自分が世話係に選ばれたのだからきちんとしなければならないという世界に向けた妙な義務感があったようです。それはどことなく他人行儀というのか、すうちゃんとの間に一線が引かれているような感覚で、母親としてどうなのだろう、もっとわが子に対し独占欲のようなものが生まれるべきなのかと私やじゅんさんに不安げに漏らしていました。
そんな時、このご友人がさらりと言われました。
「赤ちゃんの中にもハードルの高い人生を選ぶ子がいてね。
産んでくれる母親、育ててくれる母親、
二人のお母さんを選びたい子は、
こうなってしまうこともあるみたいだよ。」
旦那さんが抱えた不思議な感覚は、ご友人の言葉によって霧が晴れるように明確になりました。魂は、誰のお腹を通ってであれ、肉体を持って出現し、出会うべき人に出会う。養子の赤ちゃんはそうしてご友人の許にやってきました。すうちゃんもそうして旦那さんの許ににやってきました。やってきたという感覚は間違っていなかったのだと。
肉体を与えてくれた人を母と呼び、その恩をもってこの世で大きな影響力を持つのは当然のこと。肉体がなければ何事もこの世では経験できませんからね。しかし出会う、すなわち「縁」の前においては、産みの母であれ、育ての母であれ、父親、兄弟、友人、先生、ライバル、上司であれ、人の存在はみな平等なのです。そしてお互いがどのように響きあうかは、みな平等に機会が与えられているのです。
二人とも育ての母になるというチャンスは動き始めました。よい人生を。
<参考>
*1:空からやってきました(当Blog)
<紹介>
すべてのお母さんに送ります。
「実はうちにも乳児がいます!うちの子になる予定。」
添付された写真を見て旦那さんはしばらく固まってしまいました。そのご友人は体があまり丈夫ではなく、子どもが大好きというほどでもなく(むろん嫌いでもない)、夢はお母さんになることでもないことは長い付き合いから知っていましたので、既婚であることからおそらくDINKSで行くのだろうと想像していたのです。ですから自分の予想に反して彼女が養子を取ると気付くまでに数秒かかりました。
旦那さんが赤ちゃんのすうちゃんを迎え入れた状況はいわゆる「普通」です。多くの親がそうであるように、男女が愛し合って、女性のお腹に赤ちゃんが宿り、十月十日を経て生まれてきました。そうでない状況で赤ちゃんがやってくるとはどういうことなのか。旦那さんには様々な感情が嵐のようにやってきて息が止まりそうになりました。
ご友人はどんな気持ちで血の繋がらない子の親になることを決心したのか。彼女の旦那様はどんな気持ちで妻と心を一つにしたのか。彼女のご家族はどんな気持ちでその決心を受け入れたのか。そして彼女が託されることになる赤ちゃんを産んだ母親はどんな気持ちでその子を手放したのか。
しかしその嵐が過ぎ去った後、最初に浮かんできた言葉がありました。それをそのままメールで返信しました。
「おめでとうー!」
翌日、旦那さんはいてもたってもいられなくなり、そのご友人に「すうちゃんの散歩がてら会いに行くから待ってて!」と電話をして、電車に乗って彼女の所に出かけました。
出迎えてくれたご友人は母親の顔になっていました。友人はお昼寝中の赤ちゃんに温かい眼差しを向けながら、1年かけて養子を迎える準備をしてきたこと、子どもには血のつながりはないことを伝えることなどを淡々と語りました。そして二人はたいしたことは何もなかったように、赤ちゃんの便秘が大変だとか、抱っこ地獄だといった母親トークで盛り上がりました。
実は旦那さんはすうちゃんを産む前からある感覚を持っていました。赤ちゃんは「やってくる者」だと(*1)。
「すうちゃんは私と夫の間に『できた』というよりも、
私のお腹にどこかからやってきて、肉体をもって私の目の前に現れた。
偉大ななにかから『よろしくお願いします』という言葉と共に
やってきたように思える。」
だからなのでしょう。すうちゃんを産んだものの、自分の子どもというよりも、みんなの子どもという感覚があり、自分が世話係に選ばれたのだからきちんとしなければならないという世界に向けた妙な義務感があったようです。それはどことなく他人行儀というのか、すうちゃんとの間に一線が引かれているような感覚で、母親としてどうなのだろう、もっとわが子に対し独占欲のようなものが生まれるべきなのかと私やじゅんさんに不安げに漏らしていました。
そんな時、このご友人がさらりと言われました。
「赤ちゃんの中にもハードルの高い人生を選ぶ子がいてね。
産んでくれる母親、育ててくれる母親、
二人のお母さんを選びたい子は、
こうなってしまうこともあるみたいだよ。」
旦那さんが抱えた不思議な感覚は、ご友人の言葉によって霧が晴れるように明確になりました。魂は、誰のお腹を通ってであれ、肉体を持って出現し、出会うべき人に出会う。養子の赤ちゃんはそうしてご友人の許にやってきました。すうちゃんもそうして旦那さんの許ににやってきました。やってきたという感覚は間違っていなかったのだと。
肉体を与えてくれた人を母と呼び、その恩をもってこの世で大きな影響力を持つのは当然のこと。肉体がなければ何事もこの世では経験できませんからね。しかし出会う、すなわち「縁」の前においては、産みの母であれ、育ての母であれ、父親、兄弟、友人、先生、ライバル、上司であれ、人の存在はみな平等なのです。そしてお互いがどのように響きあうかは、みな平等に機会が与えられているのです。
二人とも育ての母になるというチャンスは動き始めました。よい人生を。
<参考>
*1:空からやってきました(当Blog)
<紹介>
すべてのお母さんに送ります。
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