夢違観音、奈良再び

法隆寺には夢違観音という小さな観音像があります。白鳳時代に作られたと言われています。この記事は夢違観音からその時代に生きた悲劇のお姫様・十市皇女(とおちひめみこ)に思いを馳せた話となっています。この記事がきっかけで旦那さんが神社で掛けた願が成就しました。その話は以前の記事の中で。

以下はLOVELOG版Messier Catalogue 27の2010年8月6日の記事の再投稿です。


夢違観音、奈良再び

夏風邪の上に夏風邪を引いて大変なことになっている旦那さん。私、ここしばらく甲斐甲斐しくお世話をしていたせいでブログを書くところではございませんでした。

それなのに! 昨晩は帰りが遅いから心配になって、家からびゅーんと飛んで行きましたら、ピアノレッスンの帰り、21時も回っているのに本屋巡りしてるんですよ。ジャンプ・コミックス発売日、最初に行った本屋に目当てのマンガが売り切れていたからですって(*1)。私は怒って、日経Helth9月号を買い物かごに入れておいてやりましたよ。(特集: 私たちが休日をとらないといけない理由)(*2)

雑誌によりますと、なんでも「休み」には、デートやスポーツや観劇などの「レジャー」と、体を休めるための「リラクゼージョン」の2通りがあるそうなんですが、案の定、うちの旦那さんは「家でじっとしているなんて大嫌い!」と言って街に出かけていきます。旦那さんの辞書には休み=レジャーしか頭にないようです。

こんな調子で、先日も招待券を持ったご友人からお誘いを受けて美術館に行ってきましてね。三井記念美術館の「奈良の古寺と仏像~會津八一のうたにのせて~」です(*3)。「仏様にに治してもらうんだー」とかなんとか、ゲホゴホやりながらも軽い足取りで出かけていきました。バカにつける薬はありません。


■室生寺・釈迦如来坐像から法隆寺・夢違観音へ

「別に仏像は逃げやしませんよ。会期は9月20日までですから。」「ゴホゴホッ(咳)、ドミノさんゴホッ(咳)。室生寺の国宝・釈迦如来坐像の展示は7月25日までなのだよ。ガホッ(咳)」 この3月に私たちは奈良を旅行し、室生寺まで足を伸ばしました(*4)。そこで弥勒堂の向かって右側にお座りになっている釈迦如来を見たのですが、いかんせん座敷の奥にいらっしゃっる。できることならもっと近くで見たいと思ったんですって。



行くとなれば私ももちろん憑いていきましたが、間近で見ると思ったよりも大きかったので驚きました[写真上 パンフレットより]。衣の襞が彫刻刀の三角刀でがっつり削ったように深いのが特徴的です。立派な体躯といい、お顔の凛々しさといい、おっとこ前なお釈迦様です。旦那さんはいつものように目がハートになっているのかと思いきや、ぱっと夢から覚めたように目線が向かった先がありました。

法隆寺の国宝・夢違観音(ゆめたがえかんのん)です。今は「ゆめちがい」と読むそうですけれど。

■何を夢にしてしまうのか

ふっくらして高い頬に、目を細め、少し笑みを浮かべたような夢違観音は、悪夢を吉夢に変えると言われる奈良時代の観音様なんですって[写真下 パンフレットより]。その美しい佇まいに旦那さんの顔も思わず、パアァと明るくなっていました。もしかして夏風邪は夢になった?(笑)


私の業界にもいますよ。凶をも嘘にして、吉に変えてくれる鳥のようなサムシング。鷽(うそ)(*5)と言います。「鷽」に「嘘」が掛っているのはもうおわかりですね。お江戸では亀戸天神社の鷽替え(*6)が有名なんですが、稲荷狐の中にもお正月に鷽にすがり付いて、お願いをしているヤツを見たことがあります。ハハハ。

「鷽替え」の神事
蜂の大群に襲われそうになった菅原道真を鷽の群れが蜂を食べて救ったという説、天満社を建てるための材木を食い散らかしていた虫を鷽が大挙して退治したという説、など諸説あるようです。また北野天満宮では、「鷽」の字が「学(學)」の字に似ていることから、学問の神様に縁の深い鳥ともいわれています。 
藤原時平の「嘘」によって、大宰府に流された菅原道真。至誠の人・道真は嘘が早く晴れるようにと願いながら死んでいきました。そんな史実も「鷽替え」の行事と何か深い関わりを感じさせます。 (*7)

道真公の「嘘が早く晴れるように」という願いが史実だったかはともかく、人が何かを願うときに「こんな酷い状況、嘘だったらいいのに。」と思ったからこそ、凶を吉としてくれる鷽が生まれたのでしょうし、道真公と重ね合わせることで強く信じることができたのではないでしょうか。

では、夢違観音は一体何を夢にしたいと願って作られたのでしょうか。こんなに穏やかなお姿の観音様ですが、一体誰が何のために作らせたのか、詳しいことはわかりません。ただ作られた時代を白鳳時代とするならば、実は凄惨な歴史を背負っていらっしゃるのです。白鳳時代とは美術史の区分で、645年(大化元年)の大化の改新から710年(和銅3年)の平城京遷都までを指します。


■家族の血で血を洗う歴史の中で

家系図はWiki参照)

645年に即位した孝徳天皇はその年に都を難波に移すのですが、間人皇后も彼女の兄の中大兄皇子も反対して、文官武官を率いて飛鳥に戻ってしまいます。孝徳とこの兄妹は叔父と姪・甥の関係。またこの兄妹、男女の関係にあったと言われています。654年、一人ぼっちで置き去られた孝徳天皇は病を発して没すと、難波宮は火事が起きて滅んでしまいました。

中大兄皇子はなかなか権力志向の強い人で、658年に孝徳天皇の子・有間皇子を謀略にかけて殺しています。しばらく長い間皇位に即かず称制(天皇に代わって政務を行うこと)したのですが、667年に飛鳥から大津へ遷都し、668年に天智天皇になると、弟の大海人皇子の妻・額田王を奪って妻に迎えます。そればかりか息子・大友皇子を天皇に即位させたいばかりに弟・大海人皇子を謀殺しようとします。大海人皇子はすばやく察知して帝位を固辞して奈良の吉野に去ります。

こうして672年に大友皇子は弘文天皇として即位します。弘文の后は大海人皇子と額田王の娘・十市皇女(とおちひめみこ)です。弘文から見ると従妹にあたりますね。十市皇女は近江の都の様子を、吉野にいる父・大海人皇子に伝えるのですが、やがて弘文天皇は軍を率いて、伯父でもあり、義父でもある大海人皇子を討とうとします。しかしこの戦いに勝ったのは大海人皇子。これがかの有名な壬申の乱です。

673年、大海人皇子は天武天皇として即位します。天武の后は天智天皇の娘、ウ(盧+鳥)野皇女(うのひめみこ)、後の持統天皇です。えっと、天武から見ると姪に当たりますね。

天武の治世が終わると、690年、女帝持統が即位するのですが、真っ先に壬申の乱で武功を立てた大津皇子が謀反を理由に捕らえられ、自殺に追い込まれてしまいます。彼女の息子・草壁皇子の皇位継承のための策略ではないかとも考えられています。

少々説明に字数を要してしまいましたが、このように肉親の愛憎と謀略が渦巻く時代に、誰かが「こんな酷い状況、夢だったらいいのに。」と願ったに違いありません。その願いがこの夢違観音の清いお姿なのです。


■奈良再び

3月に奈良旅行に行ったときに、あるお社で蛇のようなサムシングに出会いました。「もし機会があれば、このお社のことを書いてください。こんな悲しいことが二度と起こらないことを願って」と言伝を受けました。そのお社というのが、新薬師寺の鎮守として春日大社から勧請された鏡神社の摂社「比賣(ひめ)神社」であり、ご祭神が先に出てきた十市皇女なのです。(*8)

十市皇女は壬申の乱で、夫・弘文天皇と父・天武天皇が戦うという、非常に複雑で難しい立場に立たされたのではないかと推察します。夫が殺されると父の元に引き取られるのですが、そこには継母がおり、ずいぶん居辛かったことでしょう。彼女は未亡人であるにもかかわらず、泊瀬倉梯宮の斎宮(巫女、生娘が条件)に選ばれ、出立のその日に急死してしまうのです。亡くなった年は30歳くらい。生きる望みを失っての自殺ではないのかと考える人もいます。

この薄幸のお姫様を思って、境内には弘文天皇と十市皇女が寄り添う素敵なモニュメントが立てられています[写真下]。また彼女を慕ってか、女性の参拝者が多いそうで、縁結びの絵馬もたくさん掛けられていました。そこからは「好きな人と一生添い遂げられるよう頑張ります。だから数奇な運命に翻弄された貴女だからこそ、私が流されないように見守っててほしい!」という女性の願いをキャッチしましたヨ!

さて「比賣神社」に十市皇女がご鎮座されたのは、昭和56年5月9日。壬申の乱や新薬師寺の歴史を考えると、あれ、あれ、意外と新しくありませんか? この摂社の柱に2006年11月10日朝日新聞のコピーが貼られてありまして、そこにその秘密が書いてありました(*9)。


新薬師寺東門の前に住む寺島さん夫婦が電車で伊勢神宮に向かっていたところ、奥様は見えたんだそうです。夫の首に白い蛇が巻いているのが。そして奥様は聞こえたんだそうです。新薬師寺の堀沿いにある比賣塚から「祀ってほしい」と頼んでいる声が。

比賣塚。十市皇女埋葬の伝承があると鏡神社の宮司に教えてもらったご夫婦は、皇女のために神社を作ろうと決心します。役所に掛け合い、私財を投じて国有地の比賣塚を買い取り、鏡神社の摂社として祀りました。またその後も役所から費用を貰い、毎年五月にお祭りを行いました。

そして寺島さん夫婦が「お告げ」をかなえてから四半世紀。「お宮の維持くらいは子どもや孫がやってくれるでしょう。」と言われますが、十市皇女や彼女が生きた悲しい時代を忘れないのは今に生きる私たちの使命ですよね。そして1300年の時を越えて、夢違観音は悲しみが本当に夢の彼方に行ってしまうように(二度と繰り返さないように)、今も静かに微笑んでいらっしゃるのです。

さてと。とりあえずは旦那さんに夏風邪を夢にしてもらうために、しっかり休んでもらいますか。


<備考>
*1:ツイッターでの嘆き(snowyruffツイッター)
*2:日経Helth9月号目次(日経ヘルス)
*3:奈良の古寺と仏像~會津八一のうたにのせて~(公式HP)
*4:奈良旅行(当Blog)
*5:(Wiki)
*6:鷽替神事(亀戸天神社HP)
*7:天神さまと鷽替えの神事(文化デジタルライブラリー)
*8:十市皇女(Wiki)
  比賣神社(Wiki)
*9:新聞記事をサイトにまとめてくれている方がいました。感謝!
  奈良市高畑町 比賣神社(旧 比賣塚)(xhotzone)
  

<紹介>

十市皇女はあの情熱的な歌人の娘だもの。

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