母娘三代、過去と未来を生きる

旦那さんがすうちゃんと初めて目を合わせたときのお話。出産後、初めて新生児室にすうちゃんを迎えに行き、彼女の入ったカートを押して病室に戻り、カーテンを閉めて、ようやくお互いにゆっくり目と目をあわすことができました。

「はじめまして。お母さんです。これからよろしくね。」

旦那さんはすうちゃんの瞳をじーっと見ていますとあることを思い出しました。それは自分の新生児の頃の写真です。本当によく似ているのです。娘だから当然だと思いつつも、それは自分ではないかと錯覚を起こすくらいでした。そのうち娘が体験することは、自分が体験すること。違う人格であるとは重々承知しながら、感覚が重なっていく不思議を体験したそうです。


退院後、産後のお手伝いにきていた旦那さんのお母様がしみじみと言いました。

「すうちゃんの世話をしながら思うのよ。
 ああ、うちの母(旦那さんのおばあちゃん)もこんな気持ちだったんだって。」
「どんな気持ち?」
「孫(旦那さん)を見て『こんな可愛い子がお嫁に行ってしまうのね』と言ったの。
 嫁いでしまった娘のところに産後の手伝いにきてるわけでしょう。
 母が体験した"娘を嫁に出す寂しさ"を、
 私が遠い先に体験する同じ寂しさに重ねているのね。
 今ならよくわかるのよ。その時の母の気持ちが。」

旦那さんは自分もすうちゃんの産後のお世話をしに行くことになるのかなとぼんやり思っていましたら、ふと病室のカーテンの中で陥ったあの不思議な体験に合点がいったそうです。母娘というのは時空を超えて想いを重ねるものなのだ。その時わからなかったことが、くるべき時がきたらわかるようになる。それがきっとはっとする喜びとなるでしょう。

旦那さんはすうちゃんに言いました。

「生まれてきてくれてありがとう。私はあなたに新しい生をもらいました。」

娘を育てることは自分の過去と母の過去、自分の未来と娘の未来を生きることなのかもしれませんね。


<紹介>

だからこそ娘は生きにくいのかもしれませんが。

コメント

  1. 遅くなりましたが、すうちゃんのご出産、おめでとうございます!。
    すうちゃん、ようこそ世界へ~。良い人生となりますように。
    旦那さま、お疲れ様でした。しばらくは十分のご自愛が必要ですね。
    ドミノさん、がんばって!(笑)

    私は子どもはいませんが、記事を拝読していて、一瞬だけしていた教員生活を思い出しました。
    中学生と高校生が相手だったのですが、彼らを見ていると、まるでその中にかつての自分も混ざって座っているようでした。
    生き直している、というような思いがふとわいてきました。

    人は歳をとった後は、若い人たちによって何度も生き直させてもらうことになるのかもしれませんね。
    自分の子どもだったら、その体験ももっと強烈なのだと思います。

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    1. fujikokoniさん、こんにちは。

      お祝いのお言葉ありがとうございます。
      私も育児(?)がんばります(笑)

      育てるということは、自分のかつてを重ね、彼・彼女の未来に想いをはせる。
      まさに人の人生を生き直すことなのでしょうね。
      だからこそ自分のことのように相手を大切に思わなければ
      育てることはできないのだと思います。

      少し先生をされていたとのこと。
      そういう体験を早くにされたのですから、すばらしいことです。
      きっと喜怒哀楽の多い万華鏡のような豊かな時間を過ごされているのでしょうね。

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