第五章 導かれし者たち(上賀茂神社編)

2013年7月28日(日)に島根・山口で記録的な豪雨が観測されました。旦那さんの山口のご実家は瀬戸内ですのでそこまで大きな被害はありませんでしたが、やはりひどい雨が降ったそうです。以前にもこの時期にこのようなゲリラ豪雨があったことを思い出しました。ちょうど旦那さんと山口のご実家に滞在しているときでした。その後予定していた京都観光の中で思いつきで訪れた上賀茂神社、豪雨の直後の参拝は不思議な縁を感じました。後でわかったことなんですが、旦那さん一族の産土神は賀茂神社でしたー。これだから神様ってすごい。

以下はLOVELOG版Messier Catalogue 27の2009年8月6日の記事の再投稿です。


第五章 導かれし者たち(上賀茂神社編)


京都旅行から帰ってきまして、この週末は旦那さんと一緒に写真の整理をしました。私がちょいと作為を施すとオーブ(木霊)が写っていたりして、結構ファンタスティックな写真が撮れるのですが、いつも写真整理のときに「またお前かッ」と頬をぎゅうぎゅうつねられるので最近はヤメにしています。でも寺社仏閣巡りすると木陰が多くって、光が少なくて大変じゃないですか。ライティングと思えば…って旦那さん、聞いちゃいませんね。

ところで、旅行に関して旦那さんのマズい癖があるんです。旅行前の予習段階でかなり調べ上げて、リアルな想像(妄想とも言う)をするせいで、本番でその想像を越えることができないとだいたい現地で萎えてしまうのです。だいたい想像なんて自分の都合のいいようにしかしないのですから、それを越えるハッピーな現実なんてそうそうあるわけないんです。だから私は提案したのです。「いっそ調べないッ。インスピレーションで行け!」と。



旦那さんも薄々準備の仕方のまずさに気づいていたのでしょう。珍しく神妙に私のアドバイスを受け取り、今回はインスピレーションで行き先を決め、旅行ガイドブック以外は見ないと心に誓ったようです。その場所は上賀茂神社です(*1)。そうは言っても去年あたりから源氏物語縁の場所を巡るということでぽつぽつと巡っていますので、その流れかなと思ったんですけどね。上賀茂神社と源氏物語と言えば賀茂祭(葵祭)。行列を行く勅使の光源氏の凛々しい姿が思い出されますが、それ以上に愛人の六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)と正妻の葵の上が牛車で場所取り争いをする場面が有名です。

源氏物語ゆかりでしたら、別に上賀茂神社だけではありません。行ってない場所なんてたくさんあるんですよ(*2)。だけど本当に不思議なタイミングってあるもんなんで。やっぱり今回は上賀茂じゃないとダメだったんだという事件が事前に起こりました。


■山口県の豪雨体験

山口県を襲った7.21豪雨。実は私と旦那さんは、その時山口県の旦那さんの実家にいました。朝の6:00くらいにザーッという大粒の雨の音と雷の音で目が覚め、10:00頃には雷による停電。「ぎゃー、トイレ真っ暗ッ、ウォシュレットがッ」という旦那さんの叫び声(笑)。しばらくすると電気は復旧、しかし雷はあいも変わらず落ち続けました。またバケツをひっくり返したような雨とはよく表現したもので、対岸の島々は雨のカーテンで全く見えず。ニュースでは「山陽本線、及び山陽新幹線、運転停止」と情報が流れ、そのうち街の中心部はあっと言う間に冠水し、通行止めという知らせも入ってきました。

栃木の日光出身の知人が「日光は山間部だからね、夏の夕立、雷なんてしょっちゅうよ。慣れたものね。」とおっしゃるのを耳にしたことがありますが、旦那さんの実家は瀬戸内側です。穏やかな気候で知られているように、台風以外はそう滅多に大雨や雷というのもないと言います。「瀬戸内でゲリラ豪雨なみの雨や雷がこれだけ長く続くとは! 自分in山口史上初じゃあ。」

ここ近年、東京ではゲリラ豪雨と言われるものスゴイ雨が短時間で降ります。ビルが山の役割を果たし、海から入ってくる暖かく湿った空気を天空に昇らせる壁になってしまうのです。そしてビル上空で積乱雲が発生、さっきまで晴れていたのにあっと言う間に大雨や雷、まるで熱帯のスコールです。でも1時間くらい待つと落ち着くんですよね。しかし今回の山口の雨は、少し収まったかと思うと、また豪雨。それが朝から夜まで繰り返されたのです。

そして、防府市の老人ホームが見舞われたすさまじい土砂災害は全国の皆様もご存知のとおりです。私もニュースで知ったのですが、あの老人ホームはもともと裏山からの水の流れの真上に当たるところなんですってね。それをわざわざ湾曲させて、土地を確保して作った建物というのです。もちろんコンサルタントを入れて、入念に調査をして、問題なしと判断したから、水の流れを変更させてあそこに建物を建てたのでしょうけれど、この裏山で県が砂防ダム建設を検討し、2008年度から2年間の計画で調査に着手していたといいますから、危険性はある程度認識していたのでしょう。

今回、山口県が午前中に出した警報を防府市が受け取り、土砂流入の連絡がが正午頃だったのに、ホームのある地域に避難勧告を出したのが夕方5時過ぎだったという連携のマズさ(*3)、つまり人為的ミスが指摘されていますが、私はそれ以上に治水を甘くみた人の奢りのようなものを感じました。


■上賀茂神社へ行く

さて、翌日7/22、山口を発ち、京都に向かいました。京都駅のバスターミナルから9系の市バスに乗って上賀茂神社に向かっていましたらね、「うわー、清明神社だァ。ドミノさん、ここ一条戻橋ッ!(*4)」「ぎゃー、小野篁と紫式部の墓、ほんとに並んでるーッ!(*5)」、あげくのはてに、降りたバス停で「ド、ドミノさん。こここ、ここ、御薗橋っつたら『となりの801ちゃん』だお。(*6)」とおおはしゃぎです。…旅行前に調べないって誓ったら、こういうことになるのか。旦那さん、いちいちアンテナにひっかかって大変なんだ。旅行の予習は事前に心を落ち着かせる効果もあったのかと今頃気づきました。次回から気をつけよう。

そして堀川通りをバスで北上して鼻息の荒い旦那さんの背中を押すように境内に入った上賀茂神社。お社の二の鳥居をくぐると有名な二つの立砂がお出迎え…と思いきや、立砂、おじさんが一生懸命、左官用のコテで修理中だし\(゚□゚)/ 写真撮影どころではありません。思わず旦那さんは「定期的に盛りなおすものなんですか?」と尋ねますと、「いやあ、昨日の大雨で崩れてしまって、直してんの。」という返答が。昨日の大雨と言えば、山口を襲ったあの雨ですね。京都でも猛威を揮ったのですか。「でも芯は大丈夫やったよ。1000年以上も昔から変わらんのんや。すごいやろ。」



上賀茂神社は御祭神は賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)(*7)。神代の昔、本殿の北北西にある神山にご降臨され、678年に本殿に御鎮座されたとのことです。立砂は神山を模した憑代(よりしろ)といいますから、確かに1000年以上も昔からそこに同じ形で盛られていたと説明されて納得です。お清めの塩盛りの形もここが起源といいます。

欽明天皇(*8)の御世(6世紀)に、日本全国、天候不順の水害による作物不作、疫病などほとほと困り果てたところ、占ってみるとどうも賀茂大神のたたりであるらしい。それで馬に鈴をかけて走らせて祭祀を盛大に行った結果、水害が落ち着いたんだそうです。それ以来、特定の日に上賀茂神社にお参りするようになった。それが賀茂祭(葵祭)の起源だそうです(*9)。実際は御所を出発すると先に下鴨神社に寄るのですが、それは賀茂別雷神のお祖父さんの賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)とお母さんの玉依日売(たまよりひめ)が祭られているから先なんだとか。


■賀茂氏の秘密
ところが「お祖父さん、お母さん、息子って、この神様たち誰なの!? 賀茂氏の氏神って言うけれど、賀茂氏って何者? え、お祖父さんって八咫烏(やたがらす)なの?」と予習をしなかった旦那さんはパンフレットや境内の看板を見ながら大騒ぎです。…うざったいので次回から予習禁止令は解禁。やっぱり自分で事前に調べてもらうことにします。で、今回は仕方なく、少ないながら私の知識で解説してあげました。

「山城風土記」「日本書記」などを見ると、高千穂(宮崎県)の天孫降臨と一緒に賀茂建角身命が語られていますので、現実的な解釈をするなら、賀茂一族は大陸からまずは九州にやってきたのだろうと思います。おそらく渡来系の弥生人と呼ばれる人たちです。八咫烏は賀茂建角身命の化身と言われ、また朝鮮半島に栄えた高句麗のシンボルでもあります(*10)。ですから何かしら大陸と関係のある人たちではないかと考えてもいいかと思います。

また賀茂氏は、これまた渡来人と言われる秦氏とも関係が深い。400年代後半から山背国(京都府南部)で勢力を誇ったのが秦氏と賀茂氏です。秦氏は大堰川(桂川)流域、賀茂氏は鴨川(賀茂川・高野川)流域、互いに近い地域に住んでいたことがわかります。昔、これらの川は暴れ川で有名でしたが、大陸由来の治水技術で農耕に有利なこの地域を治めたのでしょう。そしてここいらの話は賀茂別雷神の出生の話にも関わってきます。出生にまつわる話が複数ある中で、父親は、秦氏の氏神である、土木の知識に優れた、松尾大社の大山咋神(おおやまいくのかみ)(*11)という説があるそうなんですよ。(左図 賀茂川)




賀茂祭の起源を作った欽明天皇はいわゆる古墳時代の天皇ですが、当時の都は奈良ですから、上賀茂神社まで直線距離にして60km強(*8)。なぜ占いでこのご神託があったかというと、この範囲でしたら、きっと治水をよくする一族がいて、どうもそこの神様が御神威(あるいは祟り)がすごいらしいといった感じの噂が届いていたのではないか。だからわざわざ遠くの他の氏族の神様をお祭り(お祈り)をしたのではないかと推測します。

賀茂氏、賀茂祭のことを知った旦那さんと私は、水害に見舞われた山口県から何のために今日わざわざ上賀茂神社を目指してやってきたのか、なんだか不思議な力を感じました。それは自分のちっぽけな個人的欲望を叶えてもらうためではない。旦那さんは山口の被害を代表して祭祀にきたのではないか。大それたことですがそんな気持ちになったといいます。

お江戸出身の私も手を合わせると自然と体験した山口のことが思い浮かんで、お祈りせずにはいられませんでした。水害で被害にあった昔の人たちも、こうやって手を合わせたのかもしれません。

お社を出る頃には憑代の立砂がきれいに直っていました。それを見て、再度、立砂のごとく、防府市の復旧、復興をお祈り申し上げ、私たちは社を後にしました。



<参考>
*1:上賀茂神社(公式HP)
*2:別の場所の例(e-kyoto HP)
*3:山口豪雨、特養周辺に避難勧告出ず 防府市「救助優先」(asahi.net)
 山口豪雨 避難勧告遅れ被害拡大(東京新聞)
*4:清明神社(京都旅楽 HP)
 一条戻り橋(京都旅楽 HP)
  一条戻り橋付近はそこだけが緑で鬱蒼としてやばい雰囲気です。。。
*5:>小野篁と紫式部の墓(京都旅楽 HP)
*6:となりの801ちゃん(公式Blog)
 御薗橋801商店街(公式HP)
  上賀茂神社のすぐ側!
*7:賀茂別雷神(Wiki)
*8:欽明天皇(Wiki)
*9:賀茂祭の起源及び変遷(上賀茂神社 公式HP)
*10:八咫烏(Wiki)
*11:大山咋神(Wiki)
 

<紹介>

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