ありがとう「あまちゃん」



NHK連続テレビ小説「あまちゃん」がとうとう終わってしまいました。今までの朝の連ドラの中で五本の指に入る(*1)と旦那さんが言っています。震災で破壊されてしまった故郷・北三陸をどう「復興」していくのか。主人公あきちゃんの素っ頓狂なキャラクターも母娘三代の絡み合ったストーリーも「潮騒のメモリー」という歌も全てはここに向けた長い助走だったように感じましたね。最後にご当地アイドルとして親友と二人でお座敷列車で歌うあきちゃんの心から楽しそうな姿に「復興」に明るい光を見ました。私、うれしくて久しぶりに絵を描いちゃいましたよ。すうちゃんの面倒を見ながらって本当に大変…。描かないと腕が落ちますね。トホホです。


ところで「復興」と聞いて旦那さんがぼんやりと思い浮かべたのは自身の寂れた田舎の風景だそうです。震災に見舞われた町と比較するのは本当におこがましいのですが、旦那さんの郷里は地方都市の例に漏れず駅前の商店街は潰れ、その代わりにファストチェーン店が軒を連ね、幹線道路沿いには複数の大型ショッピングモールや家電量販店が立ち並びました。便利になったと郷里の人たちは歓迎しましたが、どこにでもある風景になりました。資本主義経済というシステムが否応なしに田舎を飲み込んでしまい個性を消し去ってしまった、旦那さんはそんな印象を持っています。

システムというのは先人たちが考え実践してきた知恵の結晶であり、それに乗っかってしまえばある程度自律的に物事が進んでいきます。入力さえ間違えなければ安全且つ効率的に成果が得られる優れものです。しかしこの便利なブラックボックスに頼り切ると入力行為という小手先だけでなんとかしようとすることになり、プロセスを改良することに目が行かなくなってしまう。これは生きる力そのものを削いでいることに他なりません。

もし「復興」が効率だけを求めるのであれば、それこそシュミレーションゲームでもやるように(*2)幹線道路を引いて、鉄道を引いて、商業施設を誘致して…と資本主義経済のシステムに則ってやっていけばいいでしょう。しかし昔からそこにあった風景は? 文化は? 歴史は? 残念ながら効率を求めるシステムでは継げないのではないでしょうか。なんらかの「継承」のシステムを当てはめればある程度までは継げるのかもしれませんが、地域や時代や状況の特異性を考えるのであれば、更に必要となるのは継ぎたいという人々の想いであり、試行錯誤のプロセスであり、様々な結果の積み重ねです。

それを「あまちゃん」では一言で経済的な利益を追求しない「アマチュアリズムの精神」と、登場人物の太巻プロデューサーに説明させていました。

「素人臭くて何が悪い。ダサくったって我慢しろ。だってわくわくするんだから!」

資本主義経済システムのシンボルのような東京に生まれ育ったにも関わらずその街に馴染めなかったあきちゃん。アマチュアリズムを資本主義経済システムに取り込んだマスのアイドルよりもご当地アイドルでいることを選んだあきちゃん。彼女こそがその精神の体現者でした。ゆえに「あまちゃん」。それ故に、祖母、母、そして親友のユイちゃん、北三陸の人々、関わった人々の想いを継ぎ浄化することができたのでしょう。

日本という国が資本主義経済のシステムに乗っかっているのは紛れもない事実で、私たちは降りることは不可能です。しかしアマチュアリズムを精神として持ち続けることは可能です。旦那さんの郷里だって見た目はどこにでもある町に変わってしまったかもしれません。けどきっと中に入って過ごしてみたらその町の特徴を活かして活気を取り戻そうとしている熱い人がいるのではないでしょうか。なによりご両親がその地域で楽しそうに暮らしてらっしゃるのですから。人々が生き生きと暮らしているところに「あまちゃん」はいるのです。


<参考>
*1:ちなみに旦那さんの5本はこのあたりが入っています。5本以上ありますが…。
 「ふたりっ子」(1996年後期)
 「あぐり」(1997年前期)
 「私の青空」(2000年度前期)
 「ちゅらさん」(2001年前期)
 「ちりとてちん」(2007年度後期)
 「ゲゲゲの女房」(2010年前期)
 「カーネーション」(2011年後期)
 連続テレビ小説一覧(NHK)
*2:「シムシティ」とか「A列車で行こう」とか(公式HP)


<紹介>


感動よ、もう一度!
アキのテーマは「潮騒のメモリー」のデモ曲だそうな。
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ネタ元(NHK HP)

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