この世は贈り物で溢れている

今年はすうちゃんを交えての初めてのクリスマスです。冬至生まれのお義母様の誕生日企画としてこの週末にデパートにお連れしたのですが、当のご本人は孫のすうちゃんのクリスマスプレゼント選びに大ハッスルです。初孫の初クリスマスはどこのおばあちゃんもそんなもんですかね。すうちゃんには少し早いですが積木と蜜蝋のクレヨンをプレゼントすることができました。



これでプレゼントは十分と思っていたところ、すうちゃんには思いもよらない方から贈り物が届きました。それはお義母様の叔母、夫のじゅんさんから見ると大叔母にあたる方でした。プレゼントには可愛らしいオルゴール付きポストカードとお金、そしてそれとは別にお年玉まで入っていたのです。

これにはびっくりして旦那さんは急いでお義母様に電話をかけました。すると、叔母さんにはお祝いをせびるような気がしてすうちゃんが生まれたことを報告していなかったと。そして叔母さんが郷里に帰ったところ、姪(お義母様)に孫が生まれたことを知って、遅ればせながらお祝いしていただいたというのが真相のようです。

可愛がっていた姪に子どもができたと言うならお祝いもわかるのですが、姪の孫というのはもう一世代遠い時間を越えたものとなります。当然のことながら自分の孫ではないので直系ではありません。これは旦那さんが努力して築いた信頼や人望を元にした人間関係からもたらされたものではなく、旦那さんと直接関わりのない親族という人間関係からもたらされたものです。思いもよらない恩恵とはこういうことを言うのでしょう。

直系の親族を考えてみますと、「私」、父親、母親、父の父親(祖父)、父の母親(祖母)、母の父親(祖父)、母の母親(祖母)…と3代遡っただけでも15名。1+2+4+8+…と2の累乗で増えていきます。この不思議な縁が撚った糸のように「私」に繋がっている、別に伸びていった糸(叔父や叔母)も考えていると膨大な糸が関わっています。

恩恵と言うと神様から与えられる贈り物のように思えますが、実はこういった糸を手繰っていくと送り主がいるのかもしれません。もっと言うと今目の前にしているものだって、自分とは直接関係ない多くの人たちの努力で貴方の目の前に届いたものなのですから、それだって恩恵と呼べるのかもしれませんね。

そして恩恵とは本人の努力とは関係ないところで与えられようとしていています。受け取るにはどうすればよいのか。それはわかりません。ただ恩恵を恩恵と感じる感性は必要です。そして受け取ったらそれを次の人にバトンタッチ、もしくはそれ以上に増やして少しでも多くの人に恵みのバトンを渡す必要があります。それは生身の私たちができる神様の行為なのではないでしょうか。

メリークリスマス。


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ドイツ、本気度が違う…。

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