アルティメットお水取り

東大寺のお水取り(修二会)が始まりました!地元では「お水取りが終わるまでは暖かくならない」と言われ、古都奈良に春の訪れを告げる風物詩となっています。旦那さんは2010年春に運命的に奈良の地に引き寄せられ(当Blog)、お水取りを体験することができました。それ以来、奈良の大ファンになり、年1回は奈良に旅行に行くようになりました。すうちゃんが生まれてからはまだ奈良旅行は実現していないのですが、親子で寺めぐりをするのが夢です。今回は2010年春にお水取りを体験した後、それについて調べたことをご紹介します。ボリュームある記事です。


以下はLOVELOG版Messier Catalogue 27の2010年3月28日の記事の再投稿です。


アルティメットお水取り

JR東海のCM、サウンドオブミュージックの「My Favorite Things」のBGMに乗って「そうだ京都、行こう」というものはずいぶん昔から存じ上げていたのですが(*1)、それが同系列なんですが毛色の違うCMが出てきた。画面の奥行きが深~くて、静か~な感じですが何かいる…って雰囲気なんですよ。ピリピリッではなくって、ウゾウゾッとする何かがいる。BGMも歌劇「イーゴリ公」の「韃靼人の踊り」のJAZZYなアレンジで渋い(*2)。「Time again, take my heart to a gentle place~♪」 え、奈良のCMなんですか?

それが2006年のJR東海CM「うましうるわし奈良~東大寺・お水取り編」というCMで、初めて修二会を知りました(*3)。

そうやって心に留めて4年。去年のあれもお水取りへ呼ばれる前触れだったのでしょうか。2009年の秋に東京・六本木のサントリー美術館で「美しの和紙-天平の昔から未来へ」という和紙を使った工芸品を集めた企画展がありまして、その入り口で出迎えてくれたのが、紅白の花弁が美しい椿の和紙の造花でした。この時はまだ知らなかった、これが東大寺のお水取りで観音様に捧げられる、真紅の花びらに白い糊をこぼしたような珍しい椿「のりこぼし」を象ったお供えものです。[図1:①本物の花/②修二会の造花/③萬々堂通則さんの生菓子](本物を「霜降り肉」と言ったの誰ッ?)




■おたいまつでお水取り?

そもそもは「法華堂16体全員集合は5月まで!」というお知らせにより、奈良に行くことを決めた旦那さんですが(*4)、まさかあの「お水取り」の名で親しまれている修二会(しゅにえ)を見られるとは思ってもみませんでした。お水取り本番は3月12日で、この日のみ松明を二月堂の舞台の上から振る「おたいまつ」があると思っていたそうなんですが、3月1日から14日までの2週間行われるのですね。[図2:二月堂]




行くと決まれば大きな疑問「『おたいまつ』で火の粉を振りまいているのに、『お水取り』ってどういうことなんだ?」ということが旦那さんの中にむくむくと湧いてきました。どうも修二会には、あのCMだけではない裏舞台がいくつもありそうです。旦那さんの視線がじーっと私に向けられます。「はいはい。わかりました。調べておきます。」久々の検索宿題です!

ところが気負ったわりには、東大寺HPにかなり詳しく書いてあります。なんだ、私が調べて報告するほどのことでもないじゃないですか。スケジュールまでばっちりですよ。旦那さん、これをしっかり読んでくださいなっと。

修二会(東大寺HP 年中行事ページより)

しかし、とりあえず書き散らかしたことは収拾しないと申し訳ないので、「おたいまつでお水取り?」の秘密についてはここで触れようと思います。

修二会の注意事項のページにこう書いてあります。
修二会行事は、イベントではありません。
松明を見るためだけのツアー企画ではなく、奈良国立博物館で開催される特別陳列「お水取り(毎年2月中旬~3月中旬開催)」などで行事の意義を理解された上で、二月堂へお参りされることをお薦めします。 
お水取りはただのファイアーイベントじゃないんだぞと。しかも勉強してこいとまで書いてある(笑)。私は素直なので、旦那さんの首根っこ捕まえて奈良国立博物館にきちんと連れていきましたもんねー。そこで勉強したことも交えつつ、かいつまんでお話しようと思います。


■本当は懺悔大会だった

修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」。簡単に言うと十一面観世音菩薩の前で国家万民のために懺悔するというものです。考案したのは東大寺を開山した良弁の高弟、実忠です。一説によると彼はインド人だと言われています。彼が笠置寺の龍穴に篭ってトランスした時に兜率天(とそつてん)の天人(菩薩)たちの行う「十一面悔過」を見たんだそうです。そこで「人間界でもそれを行いたい!」と強く思い、導入したのが天平勝宝4年(752年)。平成22年(2010年)は1259回目だそうですよ! その間一度の中断もないというのですから、これまた驚きです。

現在は、12月16日(東大寺開山した良弁僧正の命日)に修二会を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる11名の僧が選ばれ、2月の半ばには潔斎をはじめ儀式の準備に入ります。ここで先の「のりこぼし」という椿の造花も作られるんですよ。そして3月1日から14日まで二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の前で懺悔が行われます。どうやって懺悔するのか? 五体投地(*5)といって、五体すなわち両手・両膝・額を地面に投げ伏す最高礼の形を取ります。修二会の場合は礼堂にある五体板という専用の長い板に身体を打ちつけます。痛ァい…。(そればかりやっているわけではありませんが。)

あの巨大松明はというと、練行衆が二月堂への夜のお勤めのため登廊を上がってくるとき、前を照らす灯りとしてお付の童子が持って先に歩きます。あ、童子といっても立派な青年ですよ。なにせ、長さ6m・直径1m、お水取り当日は長さ8m・もう一回り大きい直径のお松明を持つくらいですので[図3:スタンバイする本日のお松明]。練行衆が礼堂に入るのを見届けると、舞台に出てきて、松明を欄干で振ります。そしてダ・ダ・ダダダダとダッシュ。その時、松明をローリングさせて、軒の下に火の粉を振りまきます。観光客はこれを見てどよめくのです。




■美味しいお水をどうぞ

「で、お水の話は?」 お水取りと言うからには、3月12日「お水取り」本番の日にお水を取りに行く儀式が行われています。

故事によりますと、実忠は修二会の夜の行で神名帳を奉読して日本各地の神様を勧請します。ところが遅刻をした神様が一人。福井県、若狭の遠敷明神(おにゅうみょうじん)です。終わり頃にやってきたものの、行に感激した遠敷様は「遅れたお詫びに若狭からきれいな水ひっぱったるわ」と言って地下水脈をつなげてくれたんだそうです。「若狭、若狭」と唱えると水が沸くんだとか。ほんと!?

現在そこは若狭井と呼ばれ、閼伽井屋という建物の中にあります[図4:閼伽井屋]。咒師(しゅし・まじないを唱える練行衆)と堂童子(お水を汲む役目)と庄駈士(しょうのくし・水の入った桶を肩に担いで運ぶ人)のみ閼伽井屋に入ることを許されていて、3月13日午前2時頃に五体の行を中断して「お水取り」を行います。そこでくみ出したお水は六荷(縦横高さ25cmくらいの桶に6杯)。仏前に運ばれ、香水壺に収められます。こうやってフレッシュでありがたいお水を観音様にお供えするのです。



若狭井と地下水脈の話についてはもう一つお話を。井原西鶴の『諸国噺』「水筋の抜け道」より。若狭の越後屋の女中が奥様にひどい折檻を受けて、小浜の海に身投げをします。さて時も所も変わって奈良。井戸堀りをすると大量の水が吹き上げられ、貯まった水には女性の死体が浮かんできます。そこに若狭の旅人が居合わせ、死体の格好からいって若狭越後屋の女中に違いないということになった。そして…。この後のオチでは西鶴お得意の火曜サスペンス劇場のようなお話になっていますが、地下水脈の話はあながちウソではないかもしれませんよ。

実際に若狭の遠敷川の鵜の瀬で「お水取り」ならぬ「お水送り」の儀式が3月2日に行われます。水脈が通じているなんて地学技術を使って調べたらすぐわかるのでは?なんて野暮なことは言いますな。こういった伝説が天平時代以来ずうっと儀式の中で生きている不思議を味わうのがよいのです。


■アルティメット・スタイルここかしこ

修二会の主旨である「十一面悔過」を考えますと、「おたいまつ」と「お水取り」は直接関係ないことはおわかりでしょうか。旦那さんが二月堂で購入した「お水取り」の説明パンフレットにも明確に「お水取り」は付加儀礼だと書いてあります。

閼伽は「アクア」、水の国際標準語です。水が「お清め」と結び付けられるのも万国共通。ですからお水を捧げるというのは仏教儀式の「十一面悔過」の中のプログラムとして最初からあったことも考えられます。殊、実忠の場合、密教色の強い儀式をプラスして、このような形にまとめたのではないか。例えばインド古来の密教修法には閼伽水を神火で清める儀式というものがあります。

しかし日本の神様が遅刻をしてお水を送るというエピソードが挟まれているのは、日本にもまたお水を日本の神様に捧げて春を寿ぐ風習があったのではないでしょうか。例えば、小学校1年生の子が理科の授業で朝顔の種を蒔く時、土に丁寧に埋めて、きれいなお水をじょうろで丁寧に掛けて、早く大きくなあれと祈る。私たちの心に宿るあの気持ちがこれから芽吹きの季節を迎える春の儀式としてあったとしてもなんら不思議はありません。

その水がなぜ若狭だったのかというと、遠敷(おにゅう)=丹生(にう)=朱・水銀。建物の朱色の直接原料となる他、大仏建立で水銀に金を溶かして金メッキをするための大切な原材料がかつては産出されて、奈良との地縁ができたのか。その上、外国からの日本海玄関口であった若狭は渡来人の多いエリアであり、井戸掘りの技術などが発達していたため水脈を探し当てるための力を乞うたのか、と指摘するのは十一面観音巡礼で有名な白州正子さん。実忠は一時期、若狭の神宮寺にいたという話もありますから、彼が井戸掘削人をスカウトしたのかもしれませんね。

そもそも純粋な仏教儀式であれば、日本各地の神様を勧進する必要がありますかって話ですよね。インド人の実忠が日本の神様を無碍にしなかったのは、「十一面悔過」を定着させるために土着の流儀で再解釈して、仏教徒として実を取った証なのかなと想像します。今でも錬行衆は二月堂に上堂してくると、二月堂のさらに上に建つ遠敷社にかしわ手を打つんです。お坊さんなのにね。[図5:上堂前にまずは遠敷社にご挨拶]



最果ての東の地で仏教が根を下ろす。お水取りこそ正にアルティメット・スタイル!


■インドからやってきた観音様?

もう一つ。面白い事実があります。本尊の十一面観音菩薩は2体いらっしゃるんです。一つが大観音、もう一つが小観音。3月1日から7日の上七日(じょうひちにち)が大観音が本尊、3月8日から14日の下七日(げひちにち)が大観音の後ろに安置されている小観音が前に出て本尊が交代します。小さいもの=若いものが後に出てくるというのは、それこそ冬を耐えた草木が芽吹く春に相応しい儀式だと思いませんか? これも仏教というよりは、日本の神道の本宮に対する若宮の位置づけのように考えられます。

そしてこの小観音さん。もともとは大観音の後ろではなく、平安時代のある時期までは二月堂登廊側の食堂の北にあった印蔵(書庫)から運び出されていていたようですが、「二月堂縁起」によると、例の「十一面悔過」の天人たちに「この行は生身の観音様が必要だよ。」と言われ、実忠が祈りに祈って難波津で手に入れた、インド南にある補陀落(観音様が住む山)からやってきた像なんだそうです。

現在は大小本尊とも錬行衆ですら見れない絶対秘仏(お厨子に入っている)ですが、鎌倉時代には見ることができたようで、その時のスケッチが残っています。私たちはそれを奈良国立博物館で見てきたのですが、小観音さんは十一面盛りがインド風なのですよ。お釈迦様はインド人(ネパール国境)ですから、仏はみんなインド人モデルですよ、何を驚くことがあるという話ですが、やはり中国、朝鮮経由の伝播の途中にアレンジされています。

具体的にスケッチの小観音さんは、自分の顔1面を入れて、頭に3面+3面+3面+1面で全部で11面。インドのムンバイの北19kmにあるカーンヘリー石窟の第四十一石窟に彫られたレリーフと酷似しているそうです。このレリーフが彫られたのが7~8世紀と推測されています。そしてスケッチ脇にも「通常と異なります。」とメモ書きがあります。

インドと言えば実忠にとっては生まれ故郷である可能性が高い。もしかしたら彼が持ってきたものか、もしくは自分が日本で作ったか、作らせたか。遣唐使船の発着場である難波津で本場インド風の仏像を待ったか。渡来品の場合は金銅仏でしょうね。

難波津は、奈良から見ると生駒の山を越えてすぐの西の海です。インドは日本から見ると唐を超えた遥か西の国です。「西遊記」で言うところの目指す西域・天竺とはインドのことです。仏教徒にとって西=極楽浄土=仏教の生まれた場所・インドなのです。そして面白いことに二月堂だけ正面が西を向いています。普通、観音様は南面なので、建物も南を向きます[図6:境内 赤いラインが正面]。この意味とは。西方浄土から小観音はお輿にのって、3月7日に到着された。それを迎え入れるために計算された施設だと白州正子さんは指摘します。



また2月堂を見上げるように東を向いている四月堂。お堂自体は、江戸前期に再建されて、そのタイミングで現在本尊である、平安前期(奈良時代説もあり)に作られた大きな一木彫りの千手観音を迎え入れました[図7:「東大寺のほとけたち」はがきより]。普通、千手観音の手は形式化されて細い腕が背中から後光のように伸びているのを想像すると思うのですが(*6)、ここの千手観音は肉感的なリアル・アームなんです。あ、実際は四十臂です。これ、やっぱりインドのヒンドゥー教の神様(*7)を想像する残像のような手なんですよね。



東大寺、しかもたった二月堂のお水取りだけについて調べ、二月堂の周りをうろうろするだけで、京都のお寺に見る仏教のように日本味に洗練されたものではなく、もう何もかもが一緒くたの原始のものが息づく中にほうりこまれたような、クラクラする感じとでも申しましょうか。あっと言う間に奈良の洗礼を受け、今もまだその不思議な感覚の中にいます。もっといろいろ秘密を知りたい…。「いま、ふたたびの奈良へ。」帰ってきてもそんな思いでいっぱいです。あのCMは正しかった!


<参考>
参考文献
特別陳列「お水取り」(奈良国立博物館・図録)
二月堂修二会 お水取り(東大寺・有料パンフレット)
白州正子「十一面観音巡礼」(Amazon)


*1:そうだ京都、行こう(YouTube)
 旦那さんがお気に入り上賀茂神社のご紹介
*2: Again Ancient Place, the destination is surely true...(YouTube)
 「イーゴリ公」の「だったん人の踊り」(YouTube)
*3:JR東海CM 「うましうるわし奈良」過去ギャラリー(JR東海 HP)
*4:(当Blog)
*5:五体投地(Wiki)
*6:千手観音(三十三間堂 HP)
*7:千手観音(Wiki)
  ビシュヌ神(Wiki)
  ドゥルガー神(Wiki)


<紹介>

お水取りに若狭に吉野に大奔走。


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